『日本とフランスの カワイイ文化論』
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『日本とフランスのカワイイ文化論 なぜ私たちは「かわいく」なければならなかったのか』高馬京子著
[レビュアー] 金沢百枝(美術史家・多摩美術大教授)
変遷する女性像 ズレも
「かわいい」はべんりな言葉だ。多用すると、語(ご)彙(い)が貧相に思われるのが難点だがつかえる対象も広く、深く考えずに肯定的なニュアンスや気持ちを共有できる。本書は、その「かわいい」について、主にファッションやポップカルチャー、女性観の文脈で掘り下げたガチな研究書だ。平易な文体なので専門外でも読みやすい。
まずはその起源が定かでないことに驚いた。有力なのは『枕草子』説で「小さいものを可(か)憐(れん)に思うさま」。また、江戸時代の歌舞伎や大衆文学、太宰治の小説の小さなモノ、あるいは大正時代、竹久夢二や中原淳一の抒(じょ)情(じょう)画や少女漫画を発端とするという説もある。
意味も時代によって移り変わる。いずれも、小さなもの、かよわいもの、保護が必要な、無(む)垢(く)なものへの愛(いと)しさをさすが、特筆すべきは、ハローキティやロリータファッションには「文脈からの自由」「日本社会からの逃避」といったアナーキーな意味が付されていた点であろう。
著者がファッション誌『anan』を詳細に調査しながら拘泥するのはまさにこの点で、「女性たちは『かわいい』という監獄に封じ込められてきたのではないか」と問いかける。1980年代、西洋的価値観からの解放をめざして日本的な女性美のひとつとして生まれた「かわいい」女性像だが、2000年代には「かっこよさと両立すべき」となり、再び13年以降、乗り越えられるべきものとなり、女性美としての「カワイイ」はいま、終息に向かっている。
世界を席巻し、kawaiiとして定着したとされるが、著者のフランスでの調査結果をみると、実際、そこには大きなズレがある。成熟を良しとする西洋的な価値観において、未熟さを特質とする「カワイイ」は、ときに「変態的」で「世間知らず」。酔狂で用いるのは、オリエンタリスムの一種とも、文化的搾取ともいえるという論も衝撃だった。カワイイは深い。(明石書店、3520円)