『世界99 上』
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『世界99 下』
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<書評>『世界99(上)(下)』村田沙耶香 著
[レビュアー] 横尾和博(文芸評論家)
◆「からっぽ」こそ人間の本質
私たちはどこへ行くのか。著者はこれまでもディストピア小説で、一貫してその行き着く先を提示してきた。いま先端科学、テクノロジーの発展は加速度的に進みAI、生殖医療、不老不死の研究など社会は激変を続ける。未来で生きるとは? 過去の記憶とは? 著者が思考を深めて到達したのが本書。黄昏の未来を予見するディストピアだ。
本書の舞台は近未来。社会はいくつもの層に分裂し、人間はそれぞれの階層で自分の居場所を確保する。ネットの発達で仮想の世界は無数に拡大し、謀略論を信じやすい層、優雅な暮らしを楽しむ層、正しさを追求する層などに分かれている。現実世界の写し絵だ。物語の語り手は如月空子(きさらぎそらこ)。自分は性格がなく「からっぽ」で、内面的な経験を蓄積しない「哲学的ゾンビ」や「人間ロボット」だと思っている。空子はどの階層ともうまく立ち回り、相手の考えや感情を「トレース」し、相手への「呼応」でキャラをつくる。ペルソナを自在に変え、場の空気を読むことが自然にできるのだ。現実世界とネット空間のコミュニティを自在に浮遊する空子。その世界にはピョコルンという不思議な生き物とラロロリン人が存在する。ピョコルンはペットのようだがやがて進化し人間の代わりを担う。差別を受けていたラロロリン人も「恵まれた人」へと変貌する。変容する世界で空子は自分の運命を劇的に転換させるのだった。
「からっぽ」の自覚をもつ空子は「からっぽ」ではない。何も盛らなくとも心は心である。むしろ人はSNSに助長され己の存在証明のために駄弁を弄(ろう)し、偽の物語で心を狭くする。空子は考える。空虚こそ本質であり、自分の空洞こそが人間であることの証明ではないかと。哲学なき思考停止の時代に明かりを灯(とも)す言葉だ。これまでも「違和や分裂と適応」をモチーフに物語を紡いできた著者。この先テクノロジーの名のもとに世界が99%「正しく」移行しても、すべてを疑う1%の側に立ちたいと評者は思う。ささやかな文士の矜持(きょうじ)。それが評者の「世界99」である。
(集英社・各2420円)
1979年生まれ。作家。「コンビニ人間」で芥川賞。『マウス』など多数。
◆もう1冊
『消滅世界』村田沙耶香著(河出文庫)。性愛も家族も消える世界は…。