『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』梯久美子著

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やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく

『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』

著者
梯 久美子 [著]
出版社
文藝春秋
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784167923464
発売日
2025/03/05
価格
770円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』梯久美子著

[レビュアー] 奈倉有里(ロシア文学研究者)

敗戦で悟った真の正義

 ひらがなの「やなせたかし」の名でいまや誰もが知っている、アンパンマンの作者、柳瀬嵩。

 東京高等工芸学校を出てデザイナーとして働き始めた頃に戦争が始まり、一九四一年に召集令状が届く。柳瀬は「自分の頭で考えないこと」に徹して軍に順応したが、敗戦とともにそれまで信じていた「正義」はひっくり返る。「ある日を境に逆転してしまう正義は、本当の正義ではない」「正義の戦争などというものは、ないんだ」と気づいた柳瀬は、どの国の国民であるかに関係なく「これが本当の正義だ」といえるものを探し、「もし、ひっくり返らない正義がこの世にあるとすれば、それは、おなかがすいている人に食べ物を分けることではないだろうか」と悟る。

 長い年月が経(た)ち、おなかをすかせた人に自分の顔を食べさせるアンパンマンがアニメ化されたとき、柳瀬は六十九歳。そのあいだ何をしていたのかといえば、挿絵や漫画、手塚アニメの美術監督、作詞、舞台装置、シナリオ書きなど。なぜ頼まれるのか自身にもわからない不慣れな仕事もあったが、「引き受けた仕事は手を抜かない」と決めてこなしたため、「困ったときのやなせさん」と呼ばれて重宝された。だが人助けばかりで知名度があがらない。そんななか生まれた元祖アンパンマンは、ひどくふとった丸顔のおじさんだった。そして戦争のもたらす飢餓に苦しむ子供たちのいる舞台は、当時のビアフラ戦争を思わせる場所だったと著者は指摘する。

 詩集をはじめとした柳瀬の多岐にわたる仕事から丁寧に言葉を拾っていく著者、梯久美子は小学生のときに柳瀬の『やさしいライオン』に感動し、中学高校では柳瀬の詩を愛読し、大学卒業後は柳瀬の雑誌「詩とメルヘン」の編集がしたくて北海道から上京した。この本には、そんな作者が「心から『先生』と呼べる人」についての伝記だからこその率直かつ抑制の効いた抒(じょ)情(じょう)が冒頭から終わりまで一貫して流れていて、読後に確かな「愛と勇気」が残る。(文春文庫、770円)

読売新聞
2025年4月25日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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