『わたしたちはどう生きるのか』 事故生存者の苦しみ
[レビュアー] 徳永潔(産経編集センター社長)
『わたしたちはどう生きるのか—JR福知山線脱線事故から20年』
人生の幸福こそ、求めるべきものであり、それゆえ苦しみは無益であり遠ざけたいと誰もが思う。だが、不幸にして災害や事故に見舞われ、死別や身体・心に深い傷を負ったとき、耐えがたい苦しみに意味を見いだすことは本当にできるのか。根源的な問いが本書のテーマの一つである。
4人による共著。その一人、20年前のJR福知山線脱線事故で重傷を負った小椋聡さんは、苛烈な事故体験のみならず、「犠牲者の最期の乗車位置探し」にともに取り組んできた事故遺族の仲間を自殺で失い、妻は心を病んだ。
同じ災害や事故であっても当事者の苦悩や精神的ダメージは複雑で個別的だ。毎年、追悼行事が催され、悲しみが共有されても、自分の苦しみは理解してもらえないという孤立感から、周囲に語ることができない人もいるだろう。
本書を読んで思い出すのは阪神大震災で被災者の心のケアに当たった安克昌医師である。安医師は自著『心の傷を癒すということ』で、周りからは元気になったと思われても、亡くした子供を一時(いっとき)も忘れたことはない、という遺族の言葉とともに、「死別体験直後の強い感情の嵐は何年たってもおさまることなく、内部で吹き荒れている。そしてその感情は、周囲に対して何年も隠されている」と書き記した。
本書の共著者で東日本大震災当時、宮城県石巻市立大川小5年だった只野哲也さんは母と妹、祖父、多くの友人を一度に亡くした。精力的に活動を続ける今も「辛いし、悲しい。まだ何も乗り越えられていない」と打ち明ける。
小椋さんは、立場が違っても「自分が語る大川小があっていいし、逆に只野さんが語る脱線事故があっていい」と言う。語るということは互いの苦しみを分かち合い、個別の死や苦悩を普遍化する作業でもある。悲しみの同じ地平に立ち、前進しようとする決意とも言える。
苦しみは無益なのか。小椋さんは「意味がある」と、はっきりと本書で語っている。(木村奈緒・小椋聡・福田裕子・只野哲也著/コトノ出版舎・1980円)
評・徳永潔(産経編集センター社長)