『美土里倶楽部』
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<書評>『美土里俱楽部(みどりくらぶ)』村田喜代子 著
[レビュアー] 平田俊子(詩人)
◆生と死思う「看取り」の日々
村田喜代子さんの小説は、自身が住む福岡県を舞台とするものが多い。『美土里俱楽部』もその一つだ。70代の美土里が夫と暮らすのは北九州市。関門海峡に近い坂の上の町に2人の家はある。
80歳の夫が、ある年の1月に倒れて緊急入院したところから小説は始まる。診断の結果は「頸椎性脊髄症の悪化」。時はコロナ禍で、家族の見舞いも制限される。その後リハビリ病院に転院し、そろそろ退院かという頃に再び総合病院へ。同じ年の9月、夫は帰らぬ人となる。
この世に残され、「未亡人」という言葉に疑問を感じる美土里。救いのように2人の「未亡人」との出会いがある。一人は病院の忘れ物がきっかけで知り合った60代の美子。もう一人は、亡夫を詠んだ句集を作りたくてパソコン教室に現れた80代の辰子。年齢も経歴も異なる3人が、夫との死別という共通点でつながる。『地獄草紙』に興味を抱いたり、辰子の俳句を鑑賞したり、お盆の行事を体験するため大分まで行ったりしながら、夫のいない時間を3人は生きる。夫がいたら知り合うことはなかったかもしれないから、人の出会いは不思議なものだ。心の空白は容易に埋まらないにしても、交流により慰められるものはある。「美土里俱楽部」は「未亡人」同士の楽しいような、切ないような集まりだ。
気づけば夫の言葉やふるまいを思い出している美土里。横柄な物言いさえ懐かしい。人が生きること。死ぬこと。死後のこと。美土里は考える。ひたすら考えながら夫のいない時間を生きる。若い時とは違う女同士のつながりに支えられつつ。
「美土里」の名前を見るたびに「看取り」を連想するのは、作者が意図したことだろうか。夫が亡くなったあとも、美土里の心の中で看取りは続いているようなのだ。16年ほど前、作者は夫の大病と回復を小説『あなたと共に逝きましょう』で描いた。その時の夫の病名(大動脈瘤(りゅう))が出てくるせいか、『美土里俱楽部』に同じ夫婦の後日の話という気配も感じた。
(中央公論新社・2420円)
1945年生まれ。作家。「鍋の中」で芥川賞。著書『姉の島』など多数。
◆もう1冊
『そうか、もう君はいないのか』城山三郎著(新潮文庫)