「風呂キャンセル界隈」「ファストファッション」「サブスク需要」を読み解くためのたった一つのキーワード

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リキッド消費とは何か

『リキッド消費とは何か』

著者
久保田 進彦 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
社会科学/経営
ISBN
9784106110764
発売日
2025/02/15
価格
990円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

「風呂キャンセル界隈」「ファストファッション」「サブスク需要」を読み解くためのたった一つのキーワード

[レビュアー] 天野彬(電通メディアイノベーションラボ主任研究員)


日々の消費活動はどう変わってきているのか?(写真はイメージ)

人の心は移ろいやすく、ブームはいつか去るというのは時代も地域も問わない真理である。最近は、そのサイクルの目まぐるしさ、あるいはブームの中身に驚いたり、違和感を抱いたりする方も多いことだろう。消費トレンドの分析を専門とする天野彬さん(電通メディアイノベーション主任研究員)は、現代の流行現象を理解するキーワードとして「リキッド消費」を挙げる。

その言葉を軸とすると、人々の行動、トレンドの全体像がすっきり見えるというのだ。「リキッド消費」に関する入門書『リキッド消費とは何か』(久保田進彦)をもとに天野さんが現代に生きる人々の行動を読み解く。

 ***

 仕事柄、「いま」の生活者のセンチメントを的確にとらえ、鮮やかに切り取るような言葉やコンセプトを探し、またときには自らその開発に携わってきたのだが、ここ数年着目していたのが「リキッド消費」だった。2017年にイギリスのマーケティング研究者・バーディ&エカートが発表した論文がその嚆矢だが、この概念を日本国内に紹介した第一人者の久保田進彦教授(青山学院大学経営学部)の手による解説書が本書『リキッド消費とは何か』である。
 
 学術・芸術の世界においては、その分野に属する研究者・アーティスト等の「物の見方」(パラダイム)を規定するような取り組みが定期的にあらわれるものだが、件のバーディ・エカートはまさにそのような仕事だった。コンセプトそのものの魅力や納得感に加えて、多くの研究者がそのパラダイムに乗っかりたくなるような革新性や提案性を持っていたように思う。

 リキッドとは直訳すれば「液体」のことなわけだが、そもそもの点として、「リキッド・モダニティ」という概念を唱えた社会学者ジグムント・バウマンによる議論を踏まえておく必要がある。簡易なかたちでまとめると、現代社会(=後期近代社会)は近代社会が整備してきた価値観や社会制度、人々のコミュニティのありかたが、流動性・不確実性を高めていく時代相として描かれる。いわば、ソリッドな仕組みがどんどんリキッドなかたちへと融解し、さまざまな規範が失効化する中で個人の選択や判断にゆだねられる領域が拡張していくのだと表現することができる。とはいえ、この概念の検討を始めてしまうと紙幅が費えてしまうので打ち切らなければならないが、現代は確かにライフスタイルや価値観が多様化していく反面、確かなものがない中で一人一人に選択と決断の重荷が圧し掛かる面があるといえる。
 
 私たちはすでにリキッド化した社会に生きているわけだが、そこでは当然日々の消費活動にも影響が及んでくるはずだ(バウマンもその点は既に論じている)。私たちのものの買い方はもちろん、そもそも買おうとする商品・サービスの輪郭がこれまでとは異なるかたちへと変貌している。その地殻変動を捉えるコンセプトが「リキッド消費」であり、本書の第二章(42頁以降)で解説がなされるが、端的には3つの点から定義される。
(1)短命性:価値が文脈特定的でephemeral(一時的)な性質が強まることで、その寿命が短くなる。
(2)アクセス・ベース:所有権の移転が生じない取引によって構成される商品・サービスが増える。
(3)脱物質的:同じ水準の機能・効能を得るために、物質をより少なく(あるいはまったく)使用しなくなる傾向が見られる。

 この対義語が、リキッドに対する「ソリッド消費」であり、物質的な基礎付けのある財を永続的に所有するタイプのものを指す(本書60頁)。ちょっと昔まではDVDやCDを買って大事に保管していた(が今ではサブスクリプションサービスに代替してしまっている)し、購入した服は大事に長く着続けた(が今ではすぐにフリマアプリで売ってしまっている)ものだなあ…とソリッド消費の存在感がいまでは薄れつつあることに各々思い当たる節があるのではないか。
 それぞれの具体例として、まずわかりやすい(2)のアクセスベースに該当するシェアリングサービスを挙げることができる。車を所有せずとも必要な時だけ借りたり乗車したりできるようになっている他――余談ながら、消費者の利便性だけでなく、環境負荷の少なさを論点に挙げる向きもある――、いまでは鞄や家具などにもその対象が広がっている。
(3)でいえば、写真や書籍がデジタルデータのかたちで閲覧・保管されるようになったこと、そして紙幣から電子マネーにシフトしていることなどを挙げることができる。お金が脱物質的になったことが私たちの消費スタイルに大きな影響を与えたという意味では深く関わっている。また、SNSの普及とあいまって、モノよりもコト(体験)を希求する生活者が増えていることもこのトレンドに含められる。
(1)はファッション業界で顕著で、ファストファッションなどの例はもとより、本来は短命性とは真逆のタイムレスな価値を提供するはずのラグジュアリーブランドでさえもその波に飲み込まれてしまっている。「Liquid Luxury」という概念からそのありようを分析する論文においては(Fleura Bardhi, Giana M. Eckhardt, and Emma Samsioe [2020]を参照)、ラグジュアリーブランドの商品点数や回転率は上昇し続けており、メゾンのショー/コレクションの数もそれにともなって増加していることを指摘する。例えばラグジュアリーブランドの代表格であるDIORはそれまで春夏(SS)と秋冬(AW/FW)の年2回のショーを、カプセルコレクションなどを加えて年6回へ増加させている。つまり、どんどんアイテムの寿命がephemeralになっているのだ。そして、アイテムの寿命がエフェメラルになることによって、顧客は所有を伴わないアクセス・ベースな消費を望むようになる――といったかたちで、3つの要素は連動しあっている。

 そう、ここまでの議論からも示唆されるように、リキッド消費をシェアリングやサブスクといった個別のサービスや体験と紐づけるのは適切ではない(第3章)。あくまでも、そういった具体的な現象を支える基盤的な変化として捉えるべき抽象的概念なのである。また、ソリッド消費からリキッド消費へと刷新されたわけではなく、両者は共存しているし――むしろこれまでソリッド消費しかなかったところに、リキッド消費が付け加わったというイメージが正しい――、若年層との相性は良いがZ世代特有の消費行動というわけでもない。もちろん、巷間語られる若者の「○○離れ」の一部をリキッド消費によって説明することはできると評者も考えるが、そのような単純化に釘をさすような本文の筆致は誠実で信頼できると感じた。

 そのように、しっかりエビデンスを拵えながら論証を進めていく点も素晴らしく、第4章から第7章までにまたがって、オリジナル調査にもとづく定量・定性データの双方で多角的にリキッド消費の実相を検証している。マーケティングの実務者的には、データやグラフを企画書などに引用できるようになっている点はとても助かる。新書に求める読み物としての面白さに加えて、業務にも役立つ実用性が担保されているありがたみを感じることができるだろう。

 思えば、生活者の趣味趣向が多様になり市場が細分化していくことを「大衆から分衆へ」とコンセプチュアルに唱えられたのが80年代だったが――「分衆」は85年の新語・流行語大賞を受賞――、2025年現在にいたるまで、私たちの社会はその分散化が推し進められるかたちで発展してきた。もちろん、リキッド消費もその系譜の上に位置づけられる概念であるし、その流れで言及しておきたいのが昨今注目を集めることの多い「界隈」である。

 2024年にさまざまな流行語大賞を獲得した「界隈」は、もともとの「ある場所付近、その一体」といった辞書的な意味を超えて、特定の趣味や関心、行動習慣を共有する人々をグルーピングする語彙として定着しはじめている。例えば、最も有名なものの一つが「自然界隈」で、山川海などのアウトドアスポット、また都心の大きな公園や植物園などで自然を満喫するさまをSNS(特にTikTokなどのショート動画サービス)で発信する人々のことを指す。その他、「風呂キャンセル界隈」も有名で、簡単に言うと「入浴嫌いな人々」なのだが、「風呂キャン界隈の人でも使えるシャンプー」等の切り口は、「面倒くさくない」「手軽である」というUSPをいま風にキャッチーなかたちで表現するのに寄与するともいえる。

 やや脱線するが、実は風呂キャン界隈の投稿を分析してみると興味深い点がわかる。投稿者の多くが若い女性である点も加味して解釈すると、それらに共通するポイントは、面倒くさがりで毎日の義務である入浴をキャンセルしてしまうという自虐と、風呂に入らなくてもちゃんと自分はかわいい(写真・動画は加工されている場合が多いが)というマウンティングの融合なのだ。逆に、風呂に入って清潔さを保つという社会性の証をキャンセルしても自分には何の負の影響もないというメタメッセージが含まれている可能性もある。すなわち、界隈もまた自虐とマウンティングが魔合体するという日本的なSNSの磁場を正統に引き継ぐものであるとまとめられるだろう。

 では、そんな界隈の本質はどこにあるのかといえば、評者の考えでは、それこそコミュニティがリキッド化したものであるということだ。ゆるい共通性のもと、内と外とを隔てる縁が存在せず、固定的なメンバーシップなどなく流動的で、ディタッチメントが簡易。この特性は、若者の所属集団をあらわす言葉が「〇〇族」(太陽、アンノン、竹の子…など)から「〇〇系」(渋谷、裏原、アキバ、オタク…など)を経て、現在の「〇〇界隈」にまで至った系譜からも支持される。次第に、リジッドな同一性がゆるやかになっていっていることがわかる。

 また、界隈とコミュニティの違いの一つは、自分たちで名付けてアイデンティティを表明しつつ、人と人とをつなげる符牒として機能しているかどうか、さらにそこにミーム的な遊びの要素が含まれるかどうかだと考える。マーケターが抜け漏れないように(MECEに)分類したターゲットの集合であるコミュニティの考え方とはそこが異なる。「ファッションコミュニティ」ではなく、「入れ替え界隈」(カップルがコーデを入れ替えて遊ぶ)という解像度とネーミングセンスこそが正解なのだ。

 本書の最終章(第8章)では、それまでの議論をラップアップしつつ、「流暢性」と「解釈レベル理論」という概念を導入しながら、リキッド消費の功罪についても触れている。各種サービスやインフラによって現代人のケイパビリティ(自由度)は広がり、日々の利便性が高進した一方で、それがもたらす配慮なき移り気な消費者としての在り方にどう歯止めをかけるのか。その課題設定は倫理的に今後深掘りしていかなければならないと思うし、「インスタント満足」(195頁)の問題は現代の都市生活者がドーパミン過多に傾きがちだという評者の最近の問題関心とも重なる。

 最後に、視点を変えて今後の探究に向けた期待を表明しておきたい。いましがた述べたようにリキッド消費は現代人の消費生活の自由度・満足度を大きく底上げしたが、これは経済学でいうところの消費者余剰をもたらしていると言い表すことができる。消費者余剰は、支払っても良いと思う金額から実際に支払った金額の差によって算出されるが、平易に言えば「お得な買い物」度数となる。例えば、サブスクリプションサービスは一昔であれば数多の物理的メディアを所有しなければ到達できなかったバラエティ・シーキングなコンテンツ視聴を毎月1000円ほどで実現してくれるわけで、ヘビーユーザーなら毎月数千円は払っても良いと考えるのではないか――これが消費者余剰が高い状態である。
 
 ではその逆に、リキッド消費が行き渡った市場環境において、生産者余剰(生産者が商品の販売により受取る金額とその生産に要した費用の差)はどうなるのか? 自由で移り気な消費者達を前に、生産者余剰を支える諸要素――その最も重要な要素としてのブランドの存立はどう影響を受けるのか? その他にも様々な切り口が考えられるが、より複雑度を増す今日のマーケティング環境において、リキッド消費とブランディングといったテーマの研究・実践は広く切望されるはずだ。

新潮社
2025年5月7日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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