『遠くまで歩く』
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語り手の外側にあるもの
[レビュアー] 小田原のどか(美術家)
芥川賞受賞作家で『寝ても覚めても』の著者・柴崎友香の最新刊『遠くまで歩く』が刊行。
本作の魅力を彫刻家・彫刻研究者の小田原のどかさんが語る。
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「なにか写真を一枚選んでもらって、その写真の場所を誰かに伝える文章を書く」
誰かに伝える文章は、ガイドブックふうでも、一緒に歩いている友人に説明するふうでも、ふだん使用するものとは別の主語を設定したり、別のキャラクターになりきってみたりするのもいい。写真に限定せず、図や映像でもよい。こうした課題に対して、受講者たちがつくってきたものへの感想を、互いに話し合う。大学、自治体、企業が共同で進める、かような生涯学習講座で講師を頼まれた小説家・森木ヤマネを主軸として、物語は進んでいく。
新型コロナウイルスの感染拡大により、人々の生活様式に多大な変化と制約が課されるただ中、一年延期された東京オリンピックの終盤、東京の夏。森木が講師を引き受けた講座は、二〇二一年八月の状況下では対面での開催はできず、オンライン会議を通じて行われる。そうして現実の場所を持たないが、この講座は「三〇二教室」と呼ばれている。これは、もし対面開催された場合、割り当てられるはずであった市民センターの教室番号、すなわち、実現されなかった「もしも」の名前だ。とはいえ、このもしもは、未練のあらわれではない。オンラインの三〇二教室だからこそ、世界中から参加が可能になっている。所在地だけではない、受講者たちの課題作品もそれぞれに異なる。窓からの風景を毎日撮影・編集した定点観測の様式を貫く者もいるが、毎回多様な課題作品が提出される。
この小説を読み、最初の疑問は、なぜ三人称なのか、ということだった。三〇二教室が進んでいくにつれて、その疑問は腹落ちすることになる。写真や映像と文章で構成される課題作品をめぐり、本作では、視覚表現が詳細に記述される。感情描写が抑制された、即物的な記述だ。続く文章は、「その場所を誰かに伝える文章」という課題もあってか、個人的な内容であることも多い。課題の提出後、講座参加者たちの討議もおのずと、個人の記憶に基づいた、私的なものとなる。課題作品の視覚表現の説明、課題作品の文章、それらをめぐる参加者たちの対話。これらを森木の主観による語りとせず、物語の語り手の「外側」にあるものとして描くことが、ここでは必要とされたのではないだろうか。では、なぜそうした様式が要請されたのか。
巻末に記された参考資料に、手掛かりはある。オンライン生涯学習講座「都市と芸術の応答体」は、横浜国立大学が主催し、本作の作者・柴崎がゲストとして関わった。もうひとつの三〇二教室とも言える講座の記録、受講者の課題作品、参加者らの対話の概要は、ウェブサイトでたどることができる。本講座とここでの経験と、本作に影響関係がないとは言えないだろう。
作中で三〇二教室という「場所」は、液晶画面の中なのか、インターネットの中なのか、どこにあるのかが判然とせずとも、「それは確かにある」と言い切られる。コロナ禍と呼ばれた時期の記憶、現実と仮想のあわい、その確かさを「誰かに伝える文章」が、本作ではないだろうか。