村田沙耶香、最新刊『世界99』書評(評者:高山羽根子)大注目のディストピア長編をどう読むか「この世界は“設定”でできている」

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世界99 上

『世界99 上』

著者
村田 沙耶香 [著]
出版社
集英社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784087718799
発売日
2025/03/05
価格
2,420円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

分裂し続ける世界と、憑依を繰り返す巫女の受難

[レビュアー] 高山羽根子(作家)

芥川賞作家で『コンビニ人間』の著者・村田沙耶香の最新刊『世界99』刊行。

本作の魅力を作家の高山羽根子さんが語る。

***

 この世は天国も地獄も便宜上そう呼ばれているだけのものばかりで、実際は分裂し続けるいくつもの世界があるだけなんだろうし、それぞれの世界の中には、溺れもがくように憑依を続ける巫女のような女性がいるんだろう。

 視点になる人物、如月空子はクリーン・タウンという一見穏やかで清潔で安全な街に暮らしている。空子の父親は空子を愛し、ガイコク、とくにウエガイコクにあこがれを持っている。この物語はまるで魔法少女のような名前を与えられた空子の人生の節々の年齢に沿いながら、ときには遡って、章立てがされている。上巻と下巻は、世界の「リセット」と呼ばれるできごとを境に分けられている。そして、魔法少女は村田作品の重要なモチーフでもある。

 この作品の中で魔法少女たる空子の能力は「トレース」だ。空子は成長するにつれていくつかの世界の分裂を体験する。身近な問題や世界の問題に疑問を持ち続ける世界、きらきらしたあらゆることを媒介に人と繋がる世界、家族や近所の同級生や幼なじみとお金のかからない場所でうわさ話に興じる世界。世界(1)、世界(2)、世界(3)……と分裂し続ける世界の中で生きながら、空子は同じ時期に「姫」「教祖」、あるいは「おっさん」とも呼ばれる。それぞれの中で空子は求められる典型をトレースし、受け答えをする。一見すると、それは現代の女性が生きていく中で多かれ少なかれ身につける困難への対策、つまり処世術の範囲にも見える。

 この物語で重要な役割を担うのは「ラロロリン人」と呼ばれる人種(?)だ。彼らは民族的な人種ではないのだけど、本文中で兄妹ともにラロロリン人なのはとても珍しい、と言われることからわかるように、ラロロリン遺伝子を持った人はランダムに生まれるらしい。その遺伝子のキャリアとなった人間はラロロリン人と呼ばれている。その人たちはわずかな生物的特徴を持つものの基本的には検査をしないと明らかにはならず、社会の中でいくらかの優遇措置を受けている。そのために、そうでない人との間で多少の摩擦が起きている。また、シタガイコクからの労働者も社会の中で問題になっている。

 もうひとつ、いくつもの世界を繋ぐ重要な生き物は「ピョコルン」というキメラ的な人工生物だ。ふわふわして可愛らしく媚びたような鳴き声を上げるその生き物は、空子の人生のそばにずっと居座って、あらゆる悲劇的な受難を経験し続けている。飼育にまつわる詳細な描写がそこまで多くはないことから、読み手からすると飼育動物というよりは「魔法少女のバディ」を連想させる。

 かつて女児に人気を博したアニメーション制作会社「スタジオぴえろ」による「魔法少女シリーズ」に登場していた「バディとしてのペット」は、ごくたまに主人公から好物をもらって食べることはあるが、排泄物の処理をすることも、脱走を試みられ捕まえることも、混乱したそれに噛まれて怪我をすることもない。あれらはきっと、タイアップのおもちゃ商法でぬいぐるみを展開しやすいように設定されたものなのではないかと思う。今でも、世界の各地でこういった架空の生き物は少女を魅了しているらしい。例えば「マジック・ミクシーズ」などがそうだ。目が大きくてフラッフィーな、ときにユニコーンなどのように翼やツノを持っているそれらは、アニメでも少女のそばにいて、ときに少女を危機からすくいながら寄り添っている。

 物語の後半にピョールが登場するまで、ピョコルンには名前が与えられていない。あらゆる場所でピョコルンはピョコルンであり、個別の名は割り振られない。これは、分裂する世界ごとに目まぐるしく呼び名が変わり、それぞれの役割のトレースを行い続ける空子とは対照的だ。

 また「マニック・ピクシー・ドリーム・ガール」という言葉も連想させた。これはハリウッド映画などのストックキャラクターのひとつで、悩む主人公男性の前に現れ、自由奔放で無邪気な様子を見せながらその男を自由な世界へ開放していくという役割を担うとされる女性であり、またこのような物語の型はハリウッドの「典型」のひとつでもある。この物語にはそういった典型への視点があふれている。自分たちがあらゆる役割の典型である、と観察し続ける視点は分裂しきった「世界99」からのものだ。

 能力を持った魔法少女、つまり「巫女」の能力は「憑依」で、それはトレースであり、ミミックでもある。世の多くの人たちにとって他人に自分の真似をされることが不快で不安なのは、自分の居る場所が自分を憑依させた人間によって乗っ取られてしまう、という怖れからなのだろう。これはアイデンティティや表現者の当事者性、文化の盗用などとも繋がっていくイシューでもある。

 古今東西、巫女は成長していく過程で大巫女になるか母になるかを選ばされるものだ。これはこの物語の中の言葉でいえば少女の「賞味期限」だし、生理的な成長に伴う役割の変化という問題なのだろう。そうしてこの問題もまたひとつの典型と言える。すべての女性が出くわすであろう難しい局面で、巫女、つまり魔法少女の身代わりになって少女を守ろうとしてきたのがピョコルンだ。空子はその成長の過程で性被害を免れ、出産を免れる。

 この物語には空子のほかにも能力を持った巫女がいる。ピョコルン専用のエステサロンで共に働いていた小早川音は、「リセット」後の世界ではラロロリン人の残骸を使ったアーティストとしてウエガイコクの人にアピールを続けている。音は「人工感動製造機」としての自分を認識し、ずっと憑依を続け、表現者として生きている。

 空子と一緒に暮らすピョコルンのピョールが産んだ赤ちゃんは「雨」と名づけられた。空子の空はソラ、ともカラ、とも読み解きうるし、空子本人が語る通り「空気を読む」のクウ、つまり色即是空のクウとも読める。

 浴衣を身に着け、ウエガイコクの人たちに「受難」を見世物にされる魔法少女、あるいは大巫女のシンボルは、その能力である憑依によって当事者性の移行を実現する。アジアの女性である巫女がひどい目に遭うのを、ウエガイコクの人たちはときに涙を流して憤慨し、犠牲に心を痛め、ときに共感する。

 この物語に投影されている問題はひどく複雑なものだ。人種や性の差別、女性の自己決定、表現者と当事者性、ストックキャラクターと典型、憑依と模倣、バイオテクノロジーと倫理、清潔への希求、どれも元々は一見独立したものでありながら、それぞれ個々人の脳の中でそれらは巨大なひと塊となって生涯居座り続けていく。そのひと塊をこの二冊にまとめ上げることで起こるポップなグロテスクさは、間違いなくこの作家の強大な魅力のひとつだとも思う。

河出書房新社 文藝
2025年夏季号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

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