『受け手のいない祈り』
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鳴き声と情報
[レビュアー] 上田岳弘
芥川賞作家・朝比奈秋の最新作『受け手のいない祈り』が刊行。
本作の魅力を作家の上田岳弘さんが語る。
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小説(文学)についての言辞で、意識的に思い返すものが二つある。
一つは、「文学とは人類の鳴き声である」。
もう一つは、「小説(文学)とは情報である」。
後者を言ったのは確か村上龍氏だったと記憶している。「情報」のあるなしは、ノンフィクションやルポなどでは当然必要とされるものだろう。だが、こと、文学に当てはめた際、その点を気にかける必要があるのかどうか。何気ない日常や、どうということのない人生から滋味を掬い出すことこそが、高等な文学なのではないか。いかにも書生臭くそんな風に考えがちだったから、「情報」のあるなしこそが小説そのものと断言してくれる先行作家の存在は、今にしてみれば、ありがたかった。
読まれるべき作品が生まれる時、技巧と、それによってしか書き得ない「情報」とが同時に追求され、結びつくものだろうと今では思っている。
本作『受け手のいない祈り』には、「情報」が満ちている。
主人公の公河(きみかわ)は救急病棟に勤務する医師である。救急救命といえば、これまで多くのドラマや映画で題材にされて来た舞台だが、そこで働くことの現実を、つまりは正しい「情報」をそれらは果たして伝えるものだっただろうか。どれだけリアリティを突き詰めようとしたところで、「医師にはこうあって欲しい」という、いつかの患者である私たちの願望を破る一線を越えてはいないのではないか。
作中で描かれるのは、通常の暮らしからはじき出された医師公河の、日常ならざる日々である。患者を含め、医師以外の人間は毎晩眠りにつくことで、新しい日を迎えることができる。だが業務の、つまりは放っておけば死んでしまう、未来の患者である私たちの身勝手な願望に要請されるままに、公河は長い間仮眠しか取れていない。一日の積み重なりと、それによる前進感からはみ出して、公河は終わらない長い一日を過ごすことになる。
そこは「誰の命も見捨てない」ことを院是とする元軍人が開いた病院で、その言葉に従って、内臓がへしゃげるほど立ち続け、手術し続ける医師は、この環境に置かれた医師以外なら見捨てざるを得ない命の危うさと同等になるまでに、自らの命を追い込まなければ許されることはない。医師が自ら命を絶つのは、二つの命を対等に扱ったことを、身をもって証明するためだろう。その病院は軍人であった医師が街中に持ち込んだ戦場なのだ。
人は、それが、街中にあろうが、海を隔てた遠くにあろうが、変わらず巧妙に目を逸らす。時にそれが、自らに危険を及ぼすだけでなく、じわじわと日常を侵食してくることもあるのだけれど。
受け手のいない公河の祈りは人類の鳴き声で、動物ではない我々は戦地から生まれた小説を読むことができる。