『YABUNONAKA―ヤブノナカ―』
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文学へのYou Too
[レビュアー] 瀬戸夏子(歌人)
芥川賞作家で『ナチュラルボーンチキン』の著者・金原ひとみの最新刊『YABUNONAKA―ヤブノナカ―』が刊行。
本作の魅力を歌人の瀬戸夏子さんが語る。
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二〇一八年、「文学とはMe Tooと言った瞬間に消えてしまう繊細なものを捉えるための表現手段である」と福嶋亮大は書いたが、ではそのときにMe Tooと言うことができなかった作家は文学にどう向き合うべきか? という問いについに金原ひとみが真正面から向き合い、この小説は代表作『マザーズ』と並ぶ傑作になった。
近年、PCに融和的になった金原の「転向」は誰の目にも明らかだが、金原の「転向」はいまにはじまったことではない。育児をめぐる感動的な長編『マザーズ』の前に、金原は赤ん坊に性的虐待を行う『アッシュベイビー』を書いていたが彼女のなかではとくに矛盾はなかったのだろう。しかしながら今回の「転向」はそう容易なものではなかったようにみえる。
中心となる中堅の女性作家をはじめとして、告発されることになるふたりの男性編集者、作家の夫、作家のパートナー、作家の娘ら様々な登場人物は変わりゆく時代の激しさのなかでそれぞれの立場でごく個人的な語りをおこなう。「個人的なことは政治的なこと」「個人的なことは個人的なこと」「政治的なことは個人的なこと」がめくるめく渦となっていく様があまりにこの国の旧来の文学のあり方に過剰適応しているという批判は当然ありうるだろう。しかしこの過剰適応がこの国の文学の断末魔へのMe Tooでもあることにこの小説の批評性がある。そして拡張されていくこのMe Tooは文学へのYou Tooにもなり自身の文学の加害性に取り憑かれたこの小説は自身の破滅とともにこの国の文学をも破滅させんとする。滅ぼさんとされるのは編集者であり文芸誌であり大学の文学部でありなによりそれらの結託である。この文学の加害性に主人公がMe Tooというのはそのなかでしか生計を立てられないというジレンマであり、性別が逆ならば批判を免れえないパートナーとの関係性への罪悪感であり、数々の告発がなされるなかで告発対象との遠近感によってコミットの仕方が変化してしまうという絶望的なリアリティの普遍性にある。
しかし文学の破滅とはそうロマンチックなものではなく、X(旧ツイッター)やYouTubeなどのインターネットによってもたらされる旧来の文学の牙城の破壊にしかすぎないともいえる。なかでもこの小説のツイ廃ぶりは凄まじく、X(旧ツイッター)への過度な依存と怯えが全体の異様な緊張感を生み出している。ハッシュタグを拒否する連帯こそが文学であるというテーゼの醜さがこれでもかと繰り出されるのは圧巻という他ない。こんなテーマを扱っていてさえほとんど悲劇的に作者の才能が発揮され、告発され破滅していく人々の滑稽さがどうしようもなく面白い読みものになってしまう。そしてわたしたちはこの小説同様にいまだこの悲喜劇のさなかにいるのだ、と閉じられない本のなかで思案し続けなければならない。