『文部省の国体明徴政策』
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『文部省の国体明徴政策 思想はどのようにして政策になるのか』植村和秀著
[レビュアー] 福間良明(歴史社会学者・京都大教授)
思想を政策化する矛盾
1935年2月、東京帝国大学で教(きょう)鞭(べん)をとった美濃部達吉の憲法学説(天皇機関説)が、貴族院で攻撃された。それを機に、国粋主義に基づき自由主義的な学説を糾弾する国体明徴運動が活発化した。一面では、従来の文部行政への批判でもあったが、文部省はそこから積極的に国体明徴政策に乗り出した。同年11月には教学刷新評議会を設置し、37年には「国民精神の涵(かん)養(よう)」を説く『国体の本義』を刊行した。文部省は教育機関への思想統制を強め、自由主義は抑圧された。
だが、官庁が「思想」を政策化することは、さほど容易なものではない。国民の意識や行動の基底をなす「思想」の問題は、一官庁が独占的に管轄できるものなのか。かりに文部省がそれを扱うとしても、「国体」をめぐる議論は、保守派や右派のあいだでも多種多様だった。それを特定の政策に落とし込むことは、可能だったのか。本書は、こうした問題関心のもと、「国体明徴」の思想と政策のあいだの矛盾を丁寧に析出している。
文部省は、警察、土木、地方行政を担う内務省などに比べると、権限は小さかった。府県の中等教育にしても、内務省出身の知事や学務部長の影響下に置かれることもあった。文部大臣の交代頻度も高く、ときには兼任で済まされるなど、官庁としての力は弱かった。それだけに、国体明徴政策は、文部省の存在意義を積極的に打ち出そうとするものだった。
だが、そこで手掛けた『国体の本義』は、外来思想の醇(じゅん)化(か)を述べつつも、「国体」の崇高さに重点を置き、その一方で西洋思想の詳細な批判的検討がないなど、整合性を欠いていた。政策化の過程では、利害関係の調整や会議進行が優先されがちだった。主導権をめぐって国民精神文化研究所と文部省の政治的な対立も表面化し、「思想」の深化は棚上げされた。
国内外を問わず、いまも「思想」を政策化しようとする試みは、しばしば見られる。だが、ナショナリズムであれ何であれ、そもそも「思想」は政策化になじむものなのか。「国体明徴」の行政史は、この両者の矛盾に気づかせてくれる。(創元社、4950円)