『YABUNONAKA―ヤブノナカ―』金原ひとみ著

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YABUNONAKA―ヤブノナカ―

『YABUNONAKA―ヤブノナカ―』

著者
金原 ひとみ [著]
出版社
文藝春秋
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784163919683
発売日
2025/04/10
価格
2,420円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『YABUNONAKA―ヤブノナカ―』金原ひとみ著

[レビュアー] 奈倉有里(ロシア文学研究者)

加害告発 8人の視点で

 世代や性別の異なる八人の視点から描かれる十四章の長編小説。出版界および大学におけるハラスメントや性加害とその告発が主題だ。

 主人公のひとりである四十三歳の作家、長岡友梨奈は、かつて「セクハラなんて日常茶飯事」だったころに、「完全に心を殺し」て平気なふりをして社会に適応してきた世代で、ここ十数年で時代が大きく変わったことを痛感している。娘は通っている大学の性加害に起因する問題がきっかけで休学中であり、長岡は娘たちの世代が「前時代の負の遺産で傷つくことはあってはならない」と語り、周囲に働きかけている。

 セクハラ、パワハラ、モラハラ、搾取、ワンオペ育児、MeToo。これらの言葉が社会に浸透するにつれて、それまでひそかに苦しんできた人々がいかに多かったかが可視化されてきた。多くの大学や企業などではハラスメント研修が義務づけられるようにもなったし、本書の登場人物たちのように、過去の自分や周囲の被害や加害を再認識するに至った人も多いだろう。

 しかし、組織の構造も個々人の意識も改善が進んだといわれる現在でも、ひとたび問題が起きれば往々にして「この件に関わるもの皆が火傷(やけど)をする」ような事態に発展するのはなぜなのか。新たな被害を防ごうとする者までもが追い詰められてしまう原因はどこにあるのか。

 私たちはこうした問題にまつわる虚偽や隠(いん)蔽(ぺい)のなかで飛び交う憶測や罵(ば)詈(り)雑言や、前提的な意識の違いが生む摩擦に疲れて、ときに考えるための言葉を失(な)くしてしまいそうになる。だが本書はその亀裂に積極的に潜り込み、文芸誌の編集長、編集者、作家、作家の恋人、作家志望、大学生、高校生といった「混ざり合うことのない生き物」たちの体験を再現していく。

 著者が得意とする複数視点の小説の潜在能力を真(しん)摯(し)かつ縦横無尽に駆使した本書から受けた衝撃と悲しみを、この現実に向きあう意志と優しさに変えて生きられるようになりたい。(文芸春秋、2420円)

読売新聞
2025年5月9日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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