事故で妻を亡くした会社員、母の看病で全てを失った女性…作家・寺地はるなが感動した運命を紡ぐ72時間

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君が眠りにつくまえに

『君が眠りにつくまえに』

著者
水沢 秋生 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103317739
発売日
2025/04/24
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

虹をかける

[レビュアー] 寺地はるな(作家)


運命の72時間を描く感動作の読みどころとは?(写真はイメージ)

 市井の人々のありふれた日々のなかに小さな光を見出し、感情の移り変わりや成長する姿を丁寧に描き出す作風で多くの読者を魅了してきた小説家・寺地はるなさん。

『水を縫う』『川のほとりに立つ者は』『わたしたちに翼はいらない』など、共感を呼ぶ作品を次々に発表してきた寺地さんが、「生きていくって、悪くないかも」と感じた一冊があります。

 それが、出版社勤務を経て作家デビューした水沢秋生さんの小説『君が眠りにつくまえに』(新潮社)。

 事故で妻を亡くした会社員、才能も希望も持てずにいる大学生、母の介護に人生を費やしてきた女性――コンビニですれ違っただけの3人の男女をめぐる運命の72時間を描いた物語の魅力とは?

寺地はるな・評「虹をかける」

「人は誰でもみんな自分の人生の物語の主人公だ」というような言い回しがある。おそらくはポジティブな意味で。でもそれは同時に、数多の他者の物語で脇役であるということを意味する。

 私は夫の物語では妻という脇役として存在している。子どもの物語では母という脇役として。今電車の中でこれを書いているので、同じ車両に乗った人からすれば「なんだか知らないが膝の上でずっとポメラをぱたぱた言わせている乗客」という役どころになるのだろう。

 できれば、善き人の役をやりたいなあと思う。べつに主人公たる他者に多大な影響を与えたり、示唆し導いたりする役じゃなくていいから、なんとなく感じがいい人とか、ちょっと親切な人とか、そういうことだ。生きるということが、いやおうなく他者の物語に介入してしまうことだとしたら、そりゃあ私だってやはり、善き人の役がやりたいのである。

 でもそれはけっこう難しいことなのかもしれない。こちらが善意でおこした行動がまわりまわって誰かのトラブルや不幸の火種になることだってありえる。本作を読んで、そんなことを考えた。

 この物語の主人公は三人いる。性別も年齢も職業もばらばらの、直接的にはかかわりのない三人だ。

 かかわりのない三人の登場人物の物語が、同時進行で語られる。三人それぞれにままならぬ事情を抱えている。同じものを目にしながら、それぞれに違うことを考えている。彼らの力の及ばないところで進んでいる物語もある。

 物語はコンビニエンスストアの、なにげない風景から幕をあける。きっと誰もが何度も目にしたことがあるだろう、平凡な、特筆することのない風景のように思える。

 だがそのうちのひとりは、死にたがっている。死んだように生きている人もいる。痛みを抱えている人がいる。愛されているのに、必要とされているのに、それが見えていない人たちだ。彼らの抱えているものは、いずれも容易には解決しないことがらに思われる。だから、読んでいると次第に「なんだか、やりきれねえなあ」というような重苦しい気持ちになる。まるでたえまなく降り続ける雨の中を歩いているような、そんな心地がする。

 そんな私の心の状態とは関係なく、物語はとまることなく進んでいく。過剰に感動をあおることもなく、小さな感情の揺れや変化やできごとをつみ重ねながら、たんたんと進んでいく。私たちが今生きている日々そのもののように。

 誰かの物語では、べつの誰かはたんなる風景の一部となる。彼らは劇的な出会いを果たすこともなく、熱い友情や恋がめばえることもなく、わかりやすい救済がもたらされることもない。

 だが彼らはひとつの世界を生きている。誰かがとった何げない行動が、別の誰かに思いがけない結果をもたらす。彼らの言動や思いを糸に、蜘蛛の網のような精緻な世界が編み上げられていく。

 そうして彼らは、本来ならば力が及ばなかったはずの他者の物語に触れる。誰かの人生の物語のなかの「善き人」となる。本人の知らぬところで、意図せずに、それらを為し得る。ある場面にたどりついた時、ああよかった、とすなおな声が出た。

 ままならぬものを抱えた人びとが知り合い、やがて連帯し問題解決に向かうという物語は美しい。だが、ただひたむきに生きて、本人もあずかり知らぬところで小さな奇跡のようなものを生む、こんな物語もまた美しい。高邁な思想を持っているわけでも、特殊な能力を持っているわけでもない、なんならちょっとずるかったり自分勝手だったりする(ところもある)彼らが、どんどん愛しくなる。

 二度、三度と読み返すと、蜘蛛の網のはざまに光る雨の雫のような輝きをいたるところに見つけることができる。「伏線」とか「仕掛け」とかという言葉で言いあらわすのが惜しいほどに澄んだ雫だった。

 気づけば、雨はすっかり上がっている。顔を上げたら空に大きな虹がかかっていた。読み終えた人はきっとそんな気分になると思う。

「生きていくって、悪くないかも」という気持ちになる。それはこの小説が読者の心にかけた虹である。

新潮社 波
2025年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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