『みえないもの』
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ルーマニア出身の文化人類学者が娘たちと過ごす青森での日々
[レビュアー] 渡邊十絲子(詩人)
この本はジャンル分けするのが難しい。著者自身のことを書いたものだと思っていると、やがて同じ人の体験だとは思えないような記述に行きあたる。そうして軽く揺さぶられてから再び読み直すと、著者の感じ方や考え方が書いてあると思っていた部分も、うっすら色合いが変わる。語りの声はひとつではない。多くの人の声が重なって響いている。
著者は文化人類学者で、ルーマニアに生まれ、日本の大学で学び、いまは青森にいる。これは日本語で書かれた本だ。言葉がとても強い。大木の幹のように重くて硬い強さではなくて、そよ風にも揺れる草のようだ。弱みをかくさない強さ。
ふつうわれわれは無意識に、集団の言葉を使って生きている。そこでは個人の感じ方や事情にはあえてピントを合わせない。どんな話題も、「人とはこういうもの」「こうすれば損をしない」といったその集団の不文律のようなものをモノサシにして進む。話は容易に通じる。
しかし著者は違う。ここには個人の事情しか書かれていないし、広角レンズではなくいつも虫メガネが使われている。ほかの人にとって意味がないかもしれないことでも、自分にとっては描写するに足る事柄なのだと伝わってくる。それがわたしの感じた「強さ」の理由だと思う。
子どもと暮らすことは、スライムにまぜるキラキラのラメが家中の壁やカーテンにつくことだし、いつになったらキリンを飼うか聞かれ続けることだ。それらのエピソードが「あるあるネタ」として消費されることなく、誰とも交換不可能の、個別の価値として描写されている。
地元の獅子舞を〈何百年も前の踊りを身体に与えるチャンス〉と思い、娘たちと練習に参加する著者。〈その踊りにはこの世の全ての秘密が隠されている〉。全員が違った存在であり、同時に「同じ生き物」であることができる世界。それがここに描かれている。