『しらゆきの果て』
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『しらゆきの果て』澤田瞳子著
[レビュアー] 橋本五郎(読売新聞特別編集委員)
宿命に凜と生きる女性
気性激しい逞(たくま)しき女性の象徴でもある頼朝の妻、政子。亡き舅(しゅうと)、義朝の菩(ぼ)提(だい)を弔う仏堂の落慶法要の仏前で、屋敷に仕える女房を寵(ちょう)愛(あい)している頼朝を激しくなじる。生まれた子亀鶴丸は7歳で仁和寺に預けられる。政子の妬心を恐れ出家させることになったが、上(じょう)洛(らく)の途中で害される危険もあった。しかし事実は違っていた。政子は亀鶴丸が生まれて以来、彼とその母の身辺を守り、道中の警護も命じていた。
女子とはどんな宿命に襲われても逃げることも戦うことも許されず、迫り来る困難に向き合うしかない。せめてそんな辛(つら)い目に遭う女子が減るようにと政子が願っているにもかかわらず頼朝は知らぬ顔で様々な女子と通じている。決して嫉妬心ではない。弱き者が憂き目を見るこの世の辛さを政子は知っていたのだ。
ネタばれの禁を犯す危険を承知の上で、この短編集に収録された「さくり姫」の一部を紹介した。本書は「仏画や絵巻、浮世絵などの美に魅了された人々の営みを描いた歴史小説集」と銘打っている。しかし私には、逃れられない運命・宿命の中で凜(りん)として生きる女性の勁(つよ)さを描いた「自立の書」として読めるのである。
わずか9歳で松永弾正久秀の城に人質となった大和国国人の一人娘お苗。母お駒が持たせた緋(ひ)牡(ぼ)丹(たん)の株があれほど見事な花を咲かせていたのにいっこうに咲かない。何者かが蕾(つぼみ)を片っ端から摘み取っていたのだ。そこには母の深謀遠慮があることを知ったお苗は、東大寺大仏殿が焼け落ちたその日、決心する。
永遠に変わらぬものなぞ、この世にない。牡丹も必ずや咲くだろう。だからこそ、自分たちは生きねばならない。大仏さまに火をかけたのは松永勢だと思われている。城内の者が大仏殿に気をとられている間に南都の町に逃れよう。そうすれば父は何ら気に病むことなく、他の大和国人衆と同心できる。彼女らの前では頼朝はじめ男たちは卑小にさえ見えるのである。(KADOKAWA、1980円)