傍観者ではなく、物語と一体になる眼差し――曾良の視点で旅するおくのほそ道

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傍観者ではなく、物語と一体になる眼差し――曾良の視点で旅するおくのほそ道

[レビュアー] 杉江松恋(書評家)

 人には添うてみよ。

 関口尚『芭蕉はがまんできない おくのほそ道随行記』は、松尾芭蕉の奥州紀行を描いた物語である。

 作中では句が誕生する瞬間と、それが整えられていく過程が綴られる。〈閑(しづか)さや岩にしみ入(いる)蝉の声〉の一句が成立するまでを目の当たりにした読者は、物我合一の境地とはこれかと身をもって体感することだろう。

 芭蕉を描いた文学作品は多いが、本書では旅の供を務めた河合曾良の視点から、高い理想を抱く芸術家であるが時にこどもじみた振舞いもする、矛盾に満ちた師の姿が立体的に描かれる。

 路銀がなければ托鉢をすればいいのだ、と嘯く芭蕉だが、実は虚弱体質で、いい宿と食事がなければ耐えられない人なのである。上鉢石の宿では主に愚弄されて口惜しさのあまり眠れぬ夜を過ごす。実に人間的だ。

 ある俳諧興行では、参加者が臆したか、低調に終わってしまう。だが芭蕉は、その不出来な句の中にも詩趣を見出すのである。芸術が人間とともにあることを求めるがゆえの発見だった。教科書に記された名前を眺めているだけではわからない人物像がここにある。

 藤森晶子『丸刈りにされた女たち 「ドイツ兵の恋人」の戦後を辿る旅』(岩波現代文庫)も、文字面のみで知ったつもりになっていた歴史的事実を扱った一冊である。第二次世界大戦でフランスはドイツによって占領された。解放後、ドイツ兵の恋人たちは「対ナチ協力者」と蔑まれ、頭髪を丸刈りにされるなどの辱めを受けたのである。藤森は彼女たちに取材し、苦難の人生を記録した。誰にもその人の歴史があるということを痛感させられる。

 高村薫『我らが少女A』(毎日文庫、上下巻)は、風俗店アルバイト女性の殺害から始まる犯罪小説だ。高村の生み出した人気キャラクターである合田雄一郎が登場する作品だが、彼に与えられたのは傍観者の役回りである。かつて合田がある事件の捜査に関わってから現在まで十二年の歳月が過ぎた。その時の流れが人をどう変化させたかが描かれる。事件の関係者それぞれが物語の主役なのだ。

新潮社 週刊新潮
2025年5月29日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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