『テロルの決算』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
二矢という名は、占いの手ほどきを受けたことのある父親が、姓名判断をした上でつけた名である
[レビュアー] 梯久美子(ノンフィクション作家)
名著には、印象的な一節がある。
そんな一節をテーマにあわせて書評家が紹介する『週刊新潮』の名物連載、「読書会の付箋(ふせん)」。
今回のテーマは「占い」です。選ばれた名著は…?
***
1960年10月12日。社会党委員長だった浅沼稲次郎が、日比谷公会堂の演説会の壇上で、客席から駆け上がってきた右翼の少年に刺殺された。公衆の面前で行われたテロに世間は騒然となった。
犯人は大日本愛国党の元党員で、当時17歳だった山口二矢。事件から3週間後の11月2日に、警視庁から身柄を移された練馬の少年鑑別所で自殺した。シーツを細長く裂いてひも状にしたものを天井の電灯の金具にひっかけ、首を吊ったのだ。壁には粉歯磨を溶いて指で書いた「七生報国 天皇陛下万才」の文字があった。
61歳の野党政治家と17歳のテロリストが劇的に交わった瞬間を切り口として、それぞれの人生を描いたのが、沢木耕太郎が20代の終わりに書いた『テロルの決算』だ。
著者はいくつもの事実を発掘しているが、その中に、山口二矢の名づけに関するエピソードがある。この名をつけたのは、東北帝大出身で、事件当時は現役の自衛官だった父である。
〈二矢と書いて「おとや」と読む。そう読ませるには無理なところもあるが、父親はそれを承知であえてつけた〉〈二矢という名は、占いの手ほどきを受けたことのある父親が、姓名判断をした上でつけた名である〉
姓名判断では完璧な名だった。それなのになぜ彼はあんな事件を起こし、自殺したのか。のちに易学の大御所の一人は〈姓名学はまだまだ研究の余地があると思います〉と嘆いたという。