『純喫茶図解』
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『純喫茶図解』塩谷歩波著
[レビュアー] 岡美穂子(歴史学者・東京大准教授)
コーヒーの香りに包まれると、人は幸福に満たされる。古今東西、カフェ文化が愛されてきたのは、香り高き液体そのものの魅力に加え、語らいの場や、静(せい)謐(ひつ)に己と向き合う空間が人を惹(ひ)きつけるからであろう。
本書は、設計事務所を経て現在は画家である著者が描いた、細密な見取り図によって純喫茶を体験する試みである。三段階の楽しみ方が冒頭に示され、図解を通してその空間を味わい、紡がれる物語を想像し、可能ならば足を運ぶことが勧められる。
中央線沿線の店が多く紹介され、吉祥寺に暮らす私はある雨の日、空いた時間にその一つを訪ねた。レコードのクラックル音、鈍(にび)色(いろ)の空、薄暗い店内。タイムスリップしたような二十分の滞在の末、惜しくもコーヒーを飲み干せずにいた私に、店のマダムは微(ほほ)笑(え)みとともに代金を辞退した。そのぬくもりに、昭和の記憶が仄(ほの)かに薫った。純喫茶とは、日常のすぐそばにある、小さな非日常である。(幻冬舎、1650円)