『ノー・アニマルズ』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
『ノー・アニマルズ』鈴木涼美著
[レビュアー] 遠藤秀紀(解剖学者・東京大教授)
「辛そう」な顔の住人群像
東京の東、冴(さ)えない街の、解体が決まっている古いマンション。その住人たちを、一部屋ごとに切り出して描くオムニバスである。
登場するのは、二十八歳同(どう)棲(せい)中コンカフェ嬢、四十三歳バツイチ女ライター、八歳三兄弟を率いる長男、十七歳母親と衝突する女子高生、三十三歳夜を知り尽くしたホスト、三十九歳卵子凍結に凝る元女優、とくる。要は、年齢と性別と職業をちりばめた人間カタログである。
鈴木涼美の日本語は完熟している。本作はさらっと流す感覚で、脱力しながら筆を執ったか。その七掛け八掛けくらいに気を抜いた筆先が、人と人の関係を取り巻く小社会の憂(ゆう)鬱(うつ)をけだるく舐(な)めまわす。読む側は、いつの間にかフワフワだらけて、心地よいこと間違いなしだ。だが、全話を貫く芯棒くらいはどこかにないかと、一応探し始めた私だ。
舞台上の人間たちはみな、その日を「辛(つら)そう」に生きている。息苦しさの背景は、生(なり)業(わい)か性欲か人生設計か家族の軋(あつ)轢(れき)か。純愛や困窮に直面している訳でもない彼らが本当に苦しいのかどうか知ったことではないが、欲望、煩悩、そして嫉妬に苛(さいな)まれてこぼす山のような「愚痴のくず」が、本作通しの産物だろう。
迂(う)闊(かつ)な私は、吉田修一の『パレード』のように、一人くらい通り魔だか辻(つじ)斬(ぎ)りだかを放り込む実験が、住人集団で始まるのかと予期してしまった。だが、この集まりに異分子は不要だ。のっぺりと平板に均質に、みな揃(そろ)って金太郎飴(あめ)のごとく「辛そう」な顔で生きる輩(やから)こそ、書き手が鉄筋コンクリートの箱に閉じ込めた人間群像だろう。この数(あま)多(た)の「辛そう」な時間を終わらせられるのは、マンション解体の時限爆弾のみという仕掛けだ。
作品の試みがうまく行ったかどうかは、すぐには分からない。まずは読者の数だけ、人間カタログが「愚痴絵巻」に化けるなら、この作、最高にいい線を行っている。(ホーム社、2090円)