『天使も踏むを畏れるところ 上』
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『天使も踏むを畏れるところ 下』
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【聞きたい。】松家仁之さん 『天使も踏むを畏れるところ 上・下』
[レビュアー] 産経新聞社
松家仁之さん
■新宮殿造営巡る価値観の衝突
物語は、市民が望む公園建設に奔走する役人を描いた黒澤明監督作品「生きる」を巡る会話から始まる。生き方を変えられるかを問う名作だ。同作が封切られた昭和27年、空襲で焼け落ちた明治宮殿の再建計画が極秘で動きだす。
この年、日本は主権を回復し、連合国軍総司令部(GHQ)による占領が終了。一方で、全日本学生自治会総連合(全学連)を中心とするデモ隊と警察部隊が皇居前広場で衝突した「血のメーデー事件」が起きる。政治の季節へと向かう中で、新宮殿造営に携わる人々がそれぞれの理想を追う姿を本書で描いた。
「たまたま私が生まれた時代の前後に、皇居新宮殿の計画が動きだす大きな変化があった。1950年代から60年代に、世の中の空気がどう変わっていったのかを検証したいという気持ちもあった」
物語の中心になるのは、新宮殿設計を委嘱された建築家の村井俊輔。日本の伝統建築と欧米のモダニズム建築の双方に精通する村井は、長い伝統を持つ皇室と、戦後日本の民主主義を並立させる建築の実現を新宮殿で目指す。その根底には「国民にひらかれた宮殿」という考えがある。
「もともと江戸城があった皇居は周りにお濠(ほり)があり、宮殿を隠しているつもりはなくても結果的に隠れてしまう。そのままでいいのかと建築家が思うのは当然だろうなと」
村井の前に立ちはだかるのが「やり手の金庫番」である皇室経済主管の牧野脩一。関東大震災でもびくともしなかった明治宮殿の焼失を目の当たりにし、宮内省存続のために手腕を発揮した人物だ。新宮殿造営の責任者となった牧野は、村井の意匠を無視して豪華な内装を決めていく。莫大(ばくだい)な費用がかかる耐震基礎工事でも2人は対立する。
「日本のような有数の地震国で、その象徴たる宮殿がびくともしないのは、宮殿の使命」と主張する牧野に対し、村井は「壊滅的被害を東京全体が受けたとき、皇居宮殿だけがびくともせずに立っているのが、ほんとうによいことなのか」と疑問を呈する。
皇室のあり方も大きく変わった時代を背景に、「単なる善悪の対立ではなく、価値観のぶつかり合い」を描いた。(新潮社・各2970円)
村嶋和樹
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【プロフィル】松家仁之
まついえ・まさし 小説家。昭和33年、東京都生まれ。平成24年に発表したデビュー長編『火山のふもとで』で読売文学賞。29年の『光の犬』で芸術選奨文部科学大臣賞。