『アイドルだった君へ』
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アイドルという存在の空虚さ、ファンという存在の暴力性――ハードアイドル小説『アイドルだった君へ』
[レビュアー] 佐伯ポインティ(マルチタレント)
※画像はイメージです
アイドル市場は拡大の一途をたどっている。矢野経済研究所の“「オタク」市場調査”によると、アイドルを推す人々が消費する金額の国内市場規模は、2024年度に2050億円に達する予想だ。
なぜ、人々はアイドルを推すのか。
アイドルや彼らを推すファンについて“高解像度”で描かれた短編集『アイドルだった君へ』(小林早代子著/新潮文庫)には、その答えが綴られている。「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞した「くたばれ地下アイドル」を収録し、めちゃくちゃ刺さると話題になった作品である。
同書が“キラキラした青春小説”ではなく、“ハードアイドル”小説であると語るのは、マルチタレントで数々の書評を手掛ける佐伯ポインティさんだ。アイドルの空虚さもファンの暴力性も描かれたこの作品について、佐伯さんに解説してもらった。
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アイドルという存在の空虚さ、ファンという存在の暴力性――ハードアイドル小説『アイドルだった君へ』
『アイドルだった君へ』は、アイドルとファンの関係にまつわる短編集だ。だが、可愛げなイラストのカバー表紙から想像しがちな“アイドルたちのキラキラした青春小説”ではない。アイドルという産業が現代を生きる日本人にどのような禍福をもたらしたかが、様々な観点から高解像度で描かれており、ハードSFならぬ“ハードアイドル”小説だ。
作中に「ジャニーズ、ハロプロ、韓流、宝塚、若手俳優、プロレス、芸人、バンド、声優、二次元、フィギュアスケート、これらの罠が各所に張り巡らされてる現代社会に生きてて、マジでどの神も信じてないの? 無宗教なの?」というセリフがある。
登場人物が冗談半分で言ったセリフだが、昨今よく「推し活」は宗教や信仰に例えられる。たとえば、推しのアイドルやキャラの祭壇を作ったり、推しがその場にいないのに誕生日ケーキを作ったりする行為は、キリスト教や他の宗教でも散見される行為で相似性がある、という論調だ。
暗い過去の事件や新興宗教の影響もあり、多くの日本人にとって“宗教”は縁遠いものとなった。しかし、格差社会化が進み続け、SNSとは常時接続され、国際的にジェンダーギャップ指数が低く……といったように日本で生活する人の生きづらさは高まる一方で、そんな寄る辺がない現代社会に差した光が、推し活という行為なのだろう。
また、作中ではこうも語られていた。
「アイドルはさー、娯楽として即効性があるんだよね。小説も映画も、労働ですり減った頭にはまわりくどいんだよ。良い作品でも、気が滅入ることも多いしさ。アイドルはこう、血管に無理やりぶち込むみたいに効くから。毎朝ね、アイドルの動画見ないととてもじゃないけど一日の英気を養えないんだよ。気が滅入らないようにするのに必死なの、毎日。自分の機嫌とんのに必死よ」
最近話題の三宅香帆さんの著書のタイトルでもある『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』への1つのアンサーでもあるようなセリフだ。推し活は、日々の活力を無理してでも得るための、エナジードリンク的な側面もある宗教行為なのだ。
しかし年月を経てブランド化されたキリスト教や仏教、また教祖の覚悟が据わってる新興宗教団体とは違い、アイドルの推し活という宗教行為の対象は、比較的ビジュアルの整った生身の人間である。しかも、10代から20代の人間がその溌剌(はつらつ)とした若さを弾けさせて成り立っている実態がある。そんなアイドル産業に対して、『アイドルだった君へ』は逃げずに、危うさや歪みをも内包して描いていく。
まず一番最初の短編は、メンズ地下アイドルをやっている若い男子と、身体の関係をもつ同級生女子の話なのだ。しかも彼のそうした行為の細部には、年上の女性ファン達とも身体の関係があったであろう過去の影が落とされている。この作品ではアイドルという存在の空虚さ、ファンという存在の暴力性を描いていく。しかし、決して露悪的な描き方がされているわけではない。なぜ露悪的にならないかといったら、著者の筆致には、アイドルという文化の切実さや哀しみが含まれているからだ。
作中では、大学に行きたい女性アイドルの心境がこう書かれていた。
「私は自分の人生の主導権を取り戻したかった。軽い気持ちで乗り込んでしまったアトラクションの降り方がわからないのだ。ハンドルが利かないその乗り物は楽しいし笑いっぱなしで、可愛い女の子と相乗りだった。降りたいわけじゃなかった。ただ降り方を知りたかったのだった」
この文章の切実さが素晴らしい。この本がどういったものを目指した作品か、感じ取れた瞬間でもあった。著者は、アイドルの人間性という、本来こちら側に見えてはいけないはずのものを、フィクションでありながらもリアリティを持たせた形で出現させようとしているのだ。
アイドルたちの華々しいビジュアルや、歌や踊りのパフォーマンス、または熱愛や結婚といったニュース、取り巻くファンたちの喜怒哀楽。それらを、著者の想像力がかき分けて、生身の人間の本当の感情に触れようとする。それを知りたいと願い、色々な観点から書き進む。こう思っているんじゃないか、こう世界を見ているんじゃないかとシビアに推測する。その想像力が結晶化した本書は、どこか祈りのようでもある。
なぜ祈っているのか。それは選んだ人生がアイドルだった、君への愛ゆえに他ならないだろう。
佐伯ポインティさん