閉塞感で諦観する米国人教師に「落ちぶれた帝国を見る」

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閉塞感で諦観する米国人教師に「落ちぶれた帝国を見る」

[レビュアー] 栗原裕一郎(文芸評論家)


『文學界』

 文芸誌6月号は上半期芥川賞候補選出の末号にあたっており、各誌勝負作を投入してくる傾向が強い。この上半期は、何度か書いたように新人小説が旱魃に近い状況だっただけに、6月号には秀作が溢れることが期待された。というより、ここで追い上げないと候補作の並びがシビアなことになりかねない瀬戸際だったのだが、残念ながら厳しさは癒やされなかった。

 作品数はそこそこ充実していた。『文學界』4作、『新潮』1作、群像新人文学賞当選作も2作発表された。『すばる』はゼロだった。同誌は今上半期、まるで覇気がなく、半年間で掲載された新人小説がわずかに4作、うち1作は短すぎておそらくノーカウントという目を覆う有様である。

 数は揃ったものの、取り上げたいと思わせたのは、グレゴリー・ケズナジャット「トラジェクトリー」(文學界)だけだった。

 大学卒業後、リクルーターの勧誘に流されるようにテネシー州から日本に渡り、名古屋の英会話学校で英語教師をしている米国人男性ブランドンが語り手。

 グローバル化のお題目を空虚に唱えるマネージャーらしき四十男ダイスケの下、変化も成長もない3年間を過ごし、閉塞感と居場所のなさを覚えつつも、行くべき先もないと感じている。

 そこに時折、やっかいな生徒である高齢のカワムラさんの日記が差し挟まれる。アポロ計画にリアルタイムで胸を焦がし、宇宙を夢見たカワムラさんは、持参した教材であるアポロ11号の記録や、宿題である日記の中で、宇宙飛行士たちが宇宙船で過ごした時間を追体験しようとし続ける。

 明確な憧憬を持っていたカワムラさんと、もはや世界の果てすらないと感じているブランドンの対比の背後には、「ミスティーク」を失った「落ちぶれた帝国」アメリカがある。

 タイトルの「トラジェクトリー」は軌跡や軌道という意味だが、実は本文には一度も登場しない。中心を失った世界には目的地は存在せず、どこへ行こうがずっと「移動中」でしかありえない。軌道こそがいまや居場所なのだという諦観をまとった覚悟が、タイトルには込められていよう。

新潮社 週刊新潮
2025年6月12日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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