『ケアと編集』
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『ケアと編集』白石正明著
[レビュアー] 大森静佳(歌人)
ちょっと信じ まず前進
國分功一郎『中動態の世界』や伊藤亜紗『どもる体』などの医学書院〈ケアをひらく〉シリーズを世に送りだした名編集者による初の単著。執筆者たちとの交流や編集の仕事をとおして考えてきたことが、きわめて軽快な語り口で綴(つづ)られる。効率と自己責任を重視する現代の価値観に凝りかたまった思考がみるみるほぐれ、不思議なほど呼吸がしやすくなる。そんな一冊だ。
一般的な尺度では弱点と判定されてしまう個々人の「傾き」。そのひと自身を治療によって変えるのが医学だとすれば、傾いたまま輝けるように環境や文脈を変えるのがケアだと著者は言う。そしてそれは、編集の仕事も同じだと。
著者の思想をつらぬくのは、ケアとは私たちの時間をとにかく前に進めるためのものだという思いである。この本を付箋だらけにした私自身、あれこれ悩んで時間を止めてしまったり、未来のために現在を犠牲にしたりしがちな現代人の一人だろう。そんなひとびとに本書が投げかける提案はたとえばこうだ。何かを「信じる/信じない」の根拠を求めて生真面目に悩むよりも「先に」「ちょっと」だけ信じてみること。いったん「いいかげんに信じる」ことで、とりあえず一歩前に進めるというわけだ。
ケアにまつわる名著の読書ガイドとしても魅力的で、著者の「心の中の箴言(しんげん)袋」からとりだされる言葉は「自立とは依存先が分散されていることである」(熊谷晋一郎)など目が覚めるような鮮烈なものばかり。これらの言葉を、提案に従ってまずは「ちょっと」信じてみたい。痛苦に満ちて眩(まぶ)しい生の時間を進めるために。
具体的なエピソードとともに示される「モノサシを変える」「問いの外に出る」スタンスは従来の価値観からは逃避とも言えるが、ケアの思想からその価値を反転させたところが面白い。子育てや創作など多くの場に応用できるのではないか。「生きる」に臆病な私たちの背中をさりげなく押してくれる、風のような本だと思う。(岩波新書、1056円)