『テオドラ 女優からビザンツ皇后、聖人へ』デイヴィッド・ポッター著

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テオドラ

『テオドラ』

著者
デイヴィッド・ポッター [著]/井上 浩一 [訳]
出版社
白水社
ジャンル
歴史・地理/外国歴史
ISBN
9784560091593
発売日
2025/03/28
価格
4,400円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『テオドラ 女優からビザンツ皇后、聖人へ』デイヴィッド・ポッター著

[レビュアー] 金沢百枝(美術史家・多摩美術大教授)

美貌の皇妃 新たな側面

 6世紀のイスタンブールに、サーカス団の熊使いの娘で、女優からビザンツ帝国の皇后、そして聖人にまでのぼりつめた稀有(けう)な女性がいた。その名はテオドラ。

 本書はイタリアのサン・ヴィターレ聖堂のモザイク画(本書カバー)に、その鮮やかな美(び)貌(ぼう)を残す皇妃についての歴史学的評伝である。ときにはまどろっこしいほど慎重に、多様な一次史料を丁寧に読み解くことで、テオドラの一生がまざまざと甦(よみがえ)る。幼いテオドラが育った下町の喧噪(けんそう)、喜劇女優の花形でありながら少女売春に苦しむ日々、高官の内縁の妻となり他国との国境域に移住。娘とともに捨てられ、シングルマザーとして生きのびるため、諜報(ちょうほう)員となる。若い金髪の諜報員が皇帝の甥(おい)とどのように出逢(であ)ったのか。歴史は黙して語らない。次期皇帝が、ぞっこんだったことは「女優」と高官との結婚を禁じたローマの法律を改正してまでの結婚だったことから明らかだろう。

 出自の卑しさのため宮廷内で孤立しても、皇后としての責務を果たすための努力を怠らなかった。近視のテオドラが自ら読むため、本は文字が大きく誂(あつら)えられた。宮廷で公用語として使われていたラテン語を習得するための教本も残る。決まり事の多い宮廷では、母語のギリシャ語や立ち居振る舞いも『マイ・フェア・レディ』並みの特訓が必要だったろう。「一日の最初に香りの良いワインを三口、ゆっくり飲む」優雅な暮らしの裏には闇がある。

 暴動「ニカの乱」で、帝位を捨てて逃げようとした夫ユスティニアヌスに「帝位は輝かしい死装束」と言って鼓舞し、帝位を守ったという話は有名だが、神学的対立などで分裂しかけていた帝国を、敬愛する夫と協力してまとめあげ、少女売春の根絶に努めて保護施設を設立するなど、無力なものへの救済に尽力したテオドラの新たな側面が垣間見える一冊だった。翻訳も良く、読みやすい。井上浩一訳。(白水社、4400円)

読売新聞
2025年6月6日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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