<書評>『アメリカのいちばん長い戦争』生井英考 著

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アメリカのいちばん長い戦争

『アメリカのいちばん長い戦争』

著者
生井 英考 [著]
出版社
集英社
ジャンル
歴史・地理/外国歴史
ISBN
9784087213621
発売日
2025/05/16
価格
1,100円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

<書評>『アメリカのいちばん長い戦争』生井英考 著

[レビュアー] 風元正(文芸評論家)

◆威信堕とした敗北の記憶

 「ディア・ハンター」と「地獄の黙示録」は、わが映画体験の中で特筆すべき位置を占める。1960年代のヴェトナム反戦運動を経て、戦争を“自省するアメリカ”が強烈な表現を得た時代。カウンターカルチャーの原点である。しかし、超大国の苦悩はいつの間にか消え去った。なぜか? 生井英考はずっと問い続けてきた。

 そもそも、ヴェトナム戦争はいつ始まったのかも定かではない。50年代半ば、米ソ冷戦の煽(あお)りを受け、北の革命勢力に対抗して南ヴェトナムに介入したのが契機である。その後、ケネディが凶弾に倒れ、大統領に昇格し選挙に勝ったジョンソンが正規地上軍を派遣したのだが、引き金の「トンキン湾事件」は捏造(ねつぞう)だった。陸軍特殊部隊「グリーン・ベレー」が戦う前線は、熱い密林でゲリラの見えない脅威に晒(さら)され続ける果てしない行軍であり、労働者階級と黒人が多数派を占める兵士たちの間では「不服従」が横行していた。

 泥沼化する戦争をめぐる状況を一変させたのはニクソン大統領である。ヴェトナム人の戦いはヴェトナム人に返す「ヴェトナム化戦略」により米軍の名誉ある撤退を計り、戦争を声高に批判する少数派ではなく、愛国心に燃える「サイレント・マジョリティ」に訴えかけて支持を集める。そして、ニクソンの戦略により国民間の「分断」も始まった。

 73年3月、米軍は撤退しアメリカ社会は戦争を忘却できた。しかし、北ヴェトナム人民軍は進軍を続け、75年4月にサイゴン陥落。大勢の関係者がヘリで逃げ出すドタバタがTV画面を通じて報道され、威信は地に堕(お)ちる。

 アメリカは戦争に負けた。しかし、その敗北を口にできない。国家アイデンティティの分裂は決して埋まらない。9・11の時、冴(さ)えないブッシュJr.政権は“Show the flag”を合言葉に関係国に結束を呼びかけ束(つか)の間輝いた。でも、結局「テロとの戦争」という名の新たな泥沼を招いただけである。現状もまた然(しか)り。アメリカはいつもヴェトナム戦争の教訓を忘れている。

(集英社新書・1100円)

1954年生まれ。アメリカ研究者。『空の帝国 アメリカの20世紀』

◆もう1冊

『ヒルビリー・エレジー』J・D・ヴァンス著、関根光宏ほか訳(光文社未来ライブラリー)

中日新聞 東京新聞
2025年6月8日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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