『窓から逃げた100歳老人』
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100歳男児はおしっこ履き(スリッパ)で出立した
[レビュアー] 野崎歓(仏文学者・東京大学教授)
名著には、印象的な一節がある。
そんな一節をテーマにあわせて書評家が紹介する『週刊新潮』の名物連載、「読書会の付箋(ふせん)」。
今回のテーマは「百年」です。選ばれた名著は…?
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スウェーデンの作家ヨナス・ヨナソンの『窓から逃げた100歳老人』(柳瀬尚紀訳)。主人公のアランが暮らす老人ホームでは彼の誕生日を盛大に祝おうとしている。だがパーティーの主役になるのはまっぴらだ。ホーム所長の口やかましさにもうんざりしている。そこでこんな事態となる。
「100歳男児はおしっこ履きで出立した」
続けて「おしっこ履きというのは、高齢男子のほとんどが、用を足すとき履物をぐっしょりぬらすからだ」と注が入る。呆れたユーモア冒険小説の始まりだ。
そんな高齢で唐突に脱走しても長続きすまいと思ったら大間違い。アランは堂々、400頁の「すばらしき出鱈目小説」(訳者あとがき)の主役を務めてみせる。
実はこの御仁、只者ではない。母子家庭で育ち、10歳で働き始めた。それがダイナマイト会社だったことが一生を決定づける。爆破術の達人となった彼は、偶然のなりゆきからスペイン市民戦争の前線へ。共和派側だったはずがフランコ将軍の命を助けるはめに。しかし将軍の厚遇を振り払ってニューヨークへ。原爆開発中のオッペンハイマーに決定的なヒントを与え、トルーマンを大喜びさせる。
以下、スターリンや毛沢東や金正日が続々登場。現在進行形の逃亡譚と20世紀の世界史がクロスする。
壮大なほら話に笑わされつつ、アランが恐怖の一世紀を生きのびられたのは「どうしようもなく無政治」な性格ゆえだったことがつくづく腑に落ちるのだ。