梅雨の鬱陶しさを吹き飛ばせ! どんでん返し満載の短編集から、シビアな警察小説、幸せな家族小説まで――書評家・大矢博子が推す7冊!

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ニューエンタメ書評

[レビュアー] 大矢博子(書評家)

一作ごとに「ぞくり」が増す芦沢央の短編集、溢れ出る幸せに包まれる宮島未奈の青春小説、オカルティックな事件を実験で解決していく下村智恵理の「理系」ミステリなどなど、カタルシス満載本7冊を大矢博子が紹介!

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 今月の収穫としてまず挙げたいのが、芦沢央『嘘と隣人』(文藝春秋)だ。警察を退職した元刑事の平良正太郎が出会った五つの事件が綴られる連作短編集である。この平良正太郎は、日本推理作家協会賞の長編および連作短編集部門を受賞した『夜の道標』の主人公だった人物である。当時の洞察力は退職後も衰え知らずで嬉しくなった。

 だが嬉しいのはそこまで。これがまた、実にゾクリとする短編集なのである。離婚調停中の夫から居所を隠すため携帯の電源を切っていたのに、いつの間にか場所が特定されていた「かくれんぼ」、仕事中の急病で命を落とした男性の妻が取引先の女性のストーカーと化す「アイランドキッチン」、ベトナムからの実習生が出会った差別を描く「祭り」などなど、現代の闇を切り取ると同時に、今近くで起きていてもおかしくない佳品が並ぶ。

 事件の不可解さもさることながら、特筆すべきは何重にも仕掛けられたどんでん返しだ。なるほどそういうことだったのかと驚き、納得し、けれど小さな違和感が残る。その先こそが真骨頂。構成がとてつもなくテクニカルなのである。最後に浮かび上がるのはゾクリとするような人の心の恐ろしさだ。特に、痴漢冤罪(かもしれない)一件を扱った「最善」が印象的だ。

 一作ごとに「ゾクリ」が加速するこの短編集は梅雨の蒸し暑さを吹き飛ばすこと間違いなし。冷える冷える。ということで今月は、この時期の鬱陶しさを忘れさせてくれる物語をどどんと紹介するよ。

 天気も気持ちも鬱陶しいときには、何はなくともリフレッシュ! 朝比奈あすか『温泉小説』(光文社)は、心に何らかの澱を抱えた人たちが温泉に行く六つの物語が収録されている。温泉ソムリエマスターである著者による温泉の描写は、まさに身も心もほぐしてくれる。

 女友達のいない主人公がおひとり様バスツアーに参加したり、娘から免許返納を勧められた後期高齢者の男性が腹いせまがいのドライブに出かけたり、主婦が五十歳になって初めての一人旅に挑戦したり。

 みんなどこか心がささくれ立っていたり疲れていたりするのだが、興味深いのは彼らが必ずしも正しい側ではないということだ。特に第一話の女友達がいない主人公がわかりやすい。男性とつるんでいる方が楽で、女同士はベタベタして面倒臭い、そんな自分は人と違っていてかっこいいと彼女はどこかで思っている。しかし温泉で彼女はガツンとやられるのである。

 温泉礼賛小説かと思ったら、主人公たちにとって温泉が決して安らぎの場として描かれないことに驚いた。だが蓋をしていた自分の現実に気づいたとき、初めてお湯が心を包んでくれるのだ。温泉は、入れば問題が解決する魔法の場所ではない。温泉で心をほどく、その「ほどかねばならない現実」をまず見つめることが大事なのだと伝わってくる。

 梅雨の鬱陶しさを楽しさで吹き飛ばしてくれるのが、宮島未奈『それいけ!平安部』(小学館)だ。高校の入学式の日、同じクラスになった平尾安以加から声をかけられた牧原栞。平安時代が大好きで平安部なる部活を作りたいという安以加に引っ張られ、ともに部員探しに奔走することになる。集まったのは元サッカー部員に、百人一首部の幽霊部員、そして安以加の幼なじみで学校一のイケメン。でも平安部って、何するの?

 いや驚いた。何に驚いたって、青春部活小説にはつきものの葛藤だとか、立ち塞がる障害だとか、人間関係のギスギスだとか、頑張っても報われない悲しみだとか、そういう「負の要素」がまったくないのだ! 平安と言えばということで挑戦した蹴鞠大会は元サッカー部が活躍して勝ち進み、文化祭で使いたい畳だの何だのの小道具は書道教室をやっている安以加の家の蔵からどんどん出てくる。イケメンの光源氏コスプレは大評判。イヤミなライバルも実はとてもいい人。いや待って、こんなトントン拍子の青春モノ、あっていいの?

 いいのだ。これは過去を片づけ新たな場所を見つける者たちの物語なのだから。家族の無理解にうんざりしている栞。中学時代にはその平安時代好きを嗤われていた安以加。元の部活で達成感を得られなかったり、イケメンゆえの悩みがあったりと、皆それぞれ抱えているものはある。でも深刻になりすぎず、今の場所で過去の経験を活かし、今を楽しみ、そしてみんなで笑いながら下校するのだ。青春だからって苦しまなくちゃいけないなんてことはない、楽しい方がいいに決まってる。自分にできることがある、自分を認めてくれる場所がある、やりたいことができる、それがどれほど幸せなことか。そんな幸せ気分がページから溢れているのだ。

 高校の部活つながりで、お次は下村智恵理『天網恢々アルケミー 前崎中央高校科学部の事件ファイル』(創元推理文庫)を紹介しよう。両親の離婚で東京の中高一貫男子校から群馬県の高校に編入した安井良が化学室で出会ったのは、白衣に金髪、アルコールランプで牛タンを炙る女子生徒だった。木暮珠理というその生徒は二年の理系クラスのトップだという。完全文系の良はなぜか珠理に気に入られ、引っ張り回されることに……。

 彼らが挑むのは、図書室にあるという呪いの忌書、黄泉から来たと噂される白紙の手紙、トンネルで起きる怪事件などオカルティックなものばかり。だが珠理が科学部員というのがポイント。彼女は知識と実験を駆使し、オカルトの底に潜んでいる事実を明らかにしていく。

 これまた楽しい。理系の専門知識もわかりやすく、読者が知っておくべきことと流していいことをちゃんと書き分けているので、読んでいて「難しい」というストレスはまったく感じない。ただ、図表があればもっと良かった──いや、いっそ実験の様子を版元が動画で公開するというのはどうだろう。見てみたい実験がたくさん出てくるんだもの。

 だが科学だけではない。男子校から共学に編入した良が新たな体験をするたびに「こんな青春が本当に実在するのか」といちいち戸惑う様子が実に微笑ましいし、親子関係、恋愛、進路の問題などこの年頃ならではの悩みが物語の背後にある。思春期特有の視野の狭さと、それを自覚する痛み。助ける大人の存在も含め、青春小説として非常に読み応えがあるのだ。今後が楽しみな新人の登場である。

 瀬尾まいこ『ありか』(水鈴社)も、鬱陶しさを爽やかに吹き飛ばしてくれる作品だ。シングルマザーの美空は、五歳になった娘のひかりとふたり暮らし。工場で働きつつ子育てをする生活は楽ではないが、別れた夫の弟・颯斗が何くれとなく手助けしてくれたり、親しいママ友もできたり。ささやかだが幸せな日々の中、美空の悩みは実の母のことで……。

 娘のことが大切で、娘のためならなんだってできると思っているのに、朝、たった十分早く起きることができないという冒頭に思わず笑ってしまった。わかる。このフレーズが持つおかしみとリアリティと生活感は、実に瀬尾まいこらしい。

 本書のキモは人間関係だ。夫とは離婚したが、義理の弟や元姑とは円満な関係を続けている美空。ママ友や工場の先輩にも助けられている。その一方で実の母親は彼女にお金をたかってくる。颯斗は同性の恋人と一緒に暮らしている。美空とひかりの親子関係を軸に多くのエピソードを通して、助けてくれたり頼ったりできるのは家族だけではないし、無力に思えても誰かの支えになっていることもある、そんなさまざまなつながりの中で人は生きているのだということを、しみじみと伝えてくる。

 自分を幸せにするのは簡単ではないが、人を幸せにする手助けなら少しはできるかもしれない。それが巡り巡って自分も幸せになるのだと、すとんと心の底に落ちてきた。特に工場の先輩の宮崎さんがいい。こういうおばちゃんでいたい。

 伏尾美紀『最悪の相棒』(講談社)は殺人事件の被害者遺族だった少年と、その事件のせいで心をすり減らし亡くなった警官の娘が、長じて刑事となりペアを組むという物語である。自分の経験から、被害者遺族救済に熱心な潮崎と、父が死んだのは彼のせいだという思いが拭えない広中。はたしてこのバディはうまくいくのか?

 高齢者ばかりになってしまった団地を舞台に、介護殺人や振り込め詐欺、ひきこもりなど複数の事件が並行して語られる。それらが意外な結びつきを見せ、ひとつの大きな事件に収斂していく構成は見事だ。

 もちろん、潮崎の抱えた心の傷や広中の葛藤も物語の大きな見せ場。何が起きているのかわからない、じりじりした不安が一気に拭われるラストは、まるで梅雨明けしたかのようなカタルシスを感じること請け合いだ。

 最後に小路幸也『東京バンドワゴン ザ・ネバーエンディング・ストーリー』(集英社)を簡単に。著者の看板シリーズの二十作目である。番外編となる今回は、昭和六十年を舞台に稀覯本を巡るサスペンスが展開される。メインキャストの可愛い子供時代が堪能できるのみならず、本編ではすでに故人となっている人物の、ありし日の活躍が読みどころ。これが実にかっこいいのだ。シリーズのファンは必読の一冊である。

 晴耕雨読という言葉に従うなら、梅雨の時期はひたすら本が読める季節とも言える。楽しい青春ものからシビアな警察小説、幸せな家族小説まで、雨音をお供に物語の世界をお楽しみあれ。

角川春樹事務所 ランティエ
2025年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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