『ハチは心をもっている』
- 著者
- ラース・チットカ [著]/今西康子 [訳]/小野正人 [解説]
- 出版社
- みすず書房
- ジャンル
- 自然科学/生物学
- ISBN
- 9784622097679
- 発売日
- 2025/02/19
- 価格
- 3,960円(税込)
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『ハチは心をもっている 1匹が秘める驚異の知性、そして意識』ラース・チットカ著
[レビュアー] ドミニク・チェン(情報学研究者・早稲田大教授)
個として生きる愛おしさ
昆虫とは、多くの人にとって最も身近にいて最もわかりあえない生物かもしれないと思う。自律的に行動しているように見えるが、個々が何を考えているのかわからないからだ。しかし、そんな虫たちの一匹いっぴきに心があるとわかれば、どうだろうか。
本書では生涯をハチの研究に捧(ささ)げた生物学者が、ハチの個体には心があると主張する。留意するべきは、本書でいう心とは、英語のmindを指している点だ。人間に対して想起される「感受性」や「感情」のことではなく、記憶、思考、意識を指す語である。心を持つということはすなわち、本能のみに従うのではなく、個として経験した記憶に基づいて固有の行動可能性を持つということだ。
著者は、読んでいて感銘を受けずにいられない知的誠実さをもって、ハチたちに好奇心を向け続ける。過去二〇〇年の研究者たちや著者自身による数々の実験結果によって、ハチの体は人間のそれを凌(しの)ぐほど多様な感覚器を備え、人間とはかなり異なる仕方で世界を認識していることが明らかにされた。例えば、偏光(大気中の粒子の散乱などで特定方向に太陽光が振動すること)を感知し、太陽の位置を特定して、飛ぶ方向を決められる。ハチの個体には性格の違いのようなものがかなりな程度あることもわかってきた。
本書は翻訳文の読みやすさに加えて、造りも美しい。数多く紹介される実験にはそれぞれ大きく配置されたカラー図版が伴い、専門的な内容でも理解がしやすい。そのため専門外の読者にもハチ研究の奥深さが読み取れるだろう。過去のハチ研究者たちの人生が魅力的に描かれており、伝記的な面白さにも満ちている。
わたしは本書を静かな興奮と共に読み終えた後に、大学キャンパスの花壇に座り込み、大小の蜜蜂たちが花弁のなかにもぞもぞと入り込む様を眺めた。その時、生まれて初めてハチに対して愛(いと)おしさのような感情を抱いた。人とは異質でありながら、かれらが個々の生を生きているということを本書に教えられたからだった。今西康子訳。(みすず書房、3960円)