『石炭挽歌』
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『石炭挽歌(ばんか) NHK札幌放送局<炭鉱事故>担当アナウンサーの記録』末利光著
[レビュアー] 岡美穂子(歴史学者・東京大准教授)
成長神話の陰 無言の声
かつて石炭は「黒いダイヤ」と呼ばれた。昭和の初めから高度成長期にかけて、日本の近代化と戦後復興を支える燃料として、その漆黒の鉱物は国家の命運を担った。だが、その輝きの陰で、幾千の命が炭(たん)塵(じん)のなかに消え、語られることのなかった声が積もり重なっていた。
本書は、著者がNHK札幌放送局在職中、十度にわたって炭鉱事故の現場に立ち会った臨場感溢(あふ)れる経験と関連調査をもとに1971年に執筆したものである。83年に刊行が試みられながら果たせず、半世紀を経て令和の今、ようやく世に出ることとなった。高度経済成長の熱狂から一転し、東日本大震災を経て、環境破壊からくる気候変動に悩まされる現代において、本書の内容はかつての「成長神話」を静かに見直すことを迫る。92歳となった著者の「記録を今こそ伝えたい」という思いが、その背景にあるのだろう。
炭鉱の所有者は主に財閥系の大企業であった。経営陣は、現場の過酷な労働環境を顧みることなく、利益と効率を最優先した。熟練労働者が抱いた異常への予感が、都会から派遣された管理者によって無視され、やがて大事故に至った例もあった。こうした「現場無視」の体質は、今日の日本の企業社会においてもなお、連綿と残る。石油へのエネルギー転換が進むなか、全国の炭鉱は閉山し、活気に満ちた炭鉱町は、静けさと廃(はい)墟(きょ)に満ちた姿へと変(へん)貌(ぼう)した。
いま、赤錆(さ)びた機械と沈黙の壁がたたずむその跡地には、生を削って石炭を掘り続けた人々の記憶が染みついている。それは単なる産業遺産ではなく、「豊かさとは何か」を私たちに問う、無言の証言者である。
ユネスコの世界遺産の中にも、かつての人類の営みを支えた鉱山は多くある。鉱山の記憶を単なる観光資源とするだけでなく、その背後にある労働者たちの犠牲と苦しみを忘れず、真(しん)摯(し)に向き合うべきことを本書は教えてくれる。(寿郎社、2530円)