『情報敗戦』
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日本の集団的心理状況を、内外の知識人の思考を手掛かりに分析
[レビュアー] 原田泰(エコノミスト)
情報敗戦とは、情報を読み違えて、国家や民族が滅亡に晒されることであるという。本書は、日本は情報敗戦を重ね、さらに現在、本当にこの国が潰れ、民族が「難民化」する可能性を危惧している。ところが、日本のエリートたちにはそうした危機感は見られない。それは、本当の情報を知らないからだという。
事例として、太平洋戦争、戦後の対米従属、大勢順応などが糾弾される。真珠湾攻撃の成功に喜ぶ日本人は、日本と米国の国力の差異や、その攻撃が中国に対する米国の関与を強めることを認識できなかったという。
しかし、本書の多彩な記述は、情報敗戦というよりも、日本の集団的心理状況についての分析であるように思えた。著者は、内外の知識人たちの思考を手掛かりに、分析を進める。ここでアレントやサイードなど世界的知識人と松本清張や辺見庸が対等に扱われていることは嬉しい。
本書は、徳川日本の宗教は「見ざる、聞かざる、言わざる」だと断罪する。自立した個人を生まず、階層序列の中に日本人を押し込めた。聖徳太子の「和」もまた階層秩序であるという。戦前は、親が子どもを売り飛ばすことは普通で、家族の構成員は平等ではなかった。戦後の「イエ」を象徴する会社は疑似家族であり、雇用契約よりも帰属意識で滅私奉公するという。しかし、著者も認めるように、会社は帰属意識をもつ社員を邪魔者扱いし始めている。会社が面倒をみてくれないなら自立するしかないのだろうか。
日本的集団主義とは個の自立を否定して、仲間内で相互にもたれ合うことだと告発する。それは分るが、本来の儒教が説いた「礼と仁の秩序」とは真逆のものだというのは無理がある。「本来の儒教」があるとして、絶対君主を正当化する儒教は漢の時代から2000年以上も続いてきたのだから、誤解された儒教こそが正しいのではないか。
著者の日本的システムへの批判には納得できる部分も多いが、これらの批判の対象を情報敗戦とすることに私は違和感を持つ。アメリカの経済力が日本の10倍か20倍かであることは戦前でも誰もが知っていた。ただし、経済力を軍事力に転嫁させるのは、アメリカが本気になるときだけだ。真珠湾攻撃は、まさにアメリカを本気にさせる行為だった。著者はアメリカ追随を批判するが、ソ連や中国に追随していたら、もっと酷いことになっていただろう。危機感はよく理解できる。自立しなければならないのはその通りだが、どう自立するかは難しい。