『普通の底』
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すべては安寧な人生のため? 現代社会の歪みを容赦無く描き出す
[レビュアー] 縄田一男(文芸評論家)
恒産なくして恒心なしとは孟子の言葉だが、本書『普通の底』を読んでつくづく考えさせられてしまった。
インパクトのある装丁、帯に躍る言葉に興味を引かれて頁を繰れば、そこには現代社会の歪みが人間を蝕んでいく過程が、情け容赦無く描かれていた。
「ただ普通でありたかった」――と語るのは、Z世代の主人公・川辺優人。彼の手紙から物語は始まる。
第一から第三の手紙とエピローグの覚書という構成をとり、著者月村了衛は読む者すべてに問いかけているのだ。人間とは何ぞやと。
優人は「なんにもなかったはずのぼくが、どうしてこんなことになったのか」と人生を振り返る。その状況から、とんでもないことをしでかしたんだろうと想像しながら読み進めると、彼というフィルターを通しての両親や同級生たちとの関わりが描かれていく。彼とともにその人生をなぞるように読んでいくと、本当に「なんにもなかった」か、いやしかし……と、妙な違和感を覚えるのだ。生きるのって、こんなに複雑怪奇だったっけ、と。
普通の人間でいられるよう、優人は奮闘するが、そこに心はあったのか。
高度経済成長後、一億総中流社会と言われたのははるか昔。終身雇用制度はなくなり、いい企業に就職するために少しでもいい大学に入って三年生で就活する。実績作りに役立つサークルを選択するのもすべて一流企業に就職して安寧な人生を送るためだ。
普通であることに執着しつつ、実体のない優越感と、無自覚な冷酷さで他者と向きあい、自己保身から最悪の道を選び堕落していく――「メリット」/「デメリット」の判断基準、他責思考の精神的幼稚さがもたらすその結果とは。
現代社会が抱える問題をあぶり出す著者の取材力とその分析力に舌を巻く。優れた人間洞察力が、愚かな私たちに自省と改心を促してくれる。背筋が凍る、戦慄すべき一巻である。