『高所綱渡り師たち』
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<書評>『高所綱渡り師たち 残酷のユートピアを生きる』石井達朗 著
◆果敢な身体芸がもたらす陶酔
高所恐怖症とはよく聞くが、高所嗜好(しこう)症の芸人もいるのだろうか。
舞踊評論家の泰斗による本書は、サーカスのテントの内部にとどまらず、ナイアガラ峡谷やニューヨークの世界貿易センタービルなどにパフォーマンスの場を求めた綱渡り師たちの列伝である。前半の白眉は、ブロンディンの章だろう。のちの綱渡り師の代名詞となった彼の偉業は、1859年6月、ナイアガラの2つの滝と吊り橋のあいだを渡ったところにある。峡谷の幅は335メートル。鋼鉄のワイヤーが一般的ではない時代、麻のロープを踏み、1本のバランス棒を頼りに、果敢な挑戦を行った。著者が注目するのは、この「行為」が、安全対策としてのネットや命綱なしに行われたところにある。芸人は自由を求め、危険を顧みないところに矜恃(きょうじ)を持った。
何より「行為」によって得られる名声と陶酔感こそが、無謀にも見える冒険を支えている。見上げる観客の私たちには、決して踏み込めない秘奥の存在が浮かび上がってくる。
唯一無二であるはずのブロンディンは、多くの模倣者や挑戦者を生んだ。「オーストラリアのブロンディン」や「女ブロンディン」が追従するなかで、ファリーニと名乗る綱渡り師もまた、聖地となったナイアガラを渡った。ところが彼は絶頂期にサーカスの興行師へと転身し、高名なバーナムサーカスに並ぶ成功を収める。団員をはじめ美少年として売り出し、やがて美少女ルルへと変身させる。性の逆転はいつの世も観客に陶酔感をもたらすと彼はよく知っていた。
さらに19世紀の始祖カールから現代のニックまで、安全策を講じないで危険に挑むワレンダ一族を描く。家系の伝統は多くの墜落死を生んだ。ニックはナイアガラを渡ろうとし、父テリーは公園管理局に対し「見せ物とは違うんです。身体能力の問題です。アーティストの技術の問題です」と力説する件りが痛ましい。芸人の自由や矜恃は、もはや受け入れられぬ。この哀惜の念が本書を貫いていた。
(青弓社・3740円)
舞踊評論家、慶応義塾大名誉教授。著書『身体の臨界点』など。
◆もう1冊
『空と夢<新装版>』G・バシュラール著、宇佐見英治訳(法政大学出版局)