『救われてんじゃねえよ』
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[レビュアー] 徳井健太(芸人)

徳井健太さん
ヤングケアラーとしての経験を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太さん。
これまで世間から寄せられる「大変だったね」「かわいそうに」という言葉に対し、どこか「何もわかっていない」と感じてきたという。特に「愛があったから」という表現には、強い違和感を抱いていたそうだ。
そんな徳井さんが、自身の体験や想いがそのまま物語として描かれていると、初めて感じた作品がある。第21回「女による女のためのR-18文学賞」大賞を受賞した、上村裕香さんのデビュー作『救われてんじゃねえよ』(新潮社)だ。
八畳一間のアパートで、難病の母と散財してしまう父と暮らす女子高生・沙智の日常を描いた本作は、上村さん自身の経験も影響しているという。
20歳も年下の若き作家の小説に触れ、徳井さんが「とんでもない既視感に襲われた」と語るその理由とは? そして、父親の不在の中で病に苦しむ母を支え、6歳年下の妹の面倒をみてきた自身の過去を振り返り、いま何を思うのか?
そこには激しく揺らぎ、頬を伝った涙の跡があった――。
世間の同情の声に覚えた違和感
作品を読み終わり、こりゃありきたりな解説やつまらん分析なんか出来ねぇぞ、と背筋を正した。
作品を読んでいる最中、幾度となくとんでもない既視感に襲われた。よく映画や歌や小説に触れた人が、「これ、私のこと言ってるの?」なんてことを言うが、僕には今まで一度もなかった。
けれど『救われてんじゃねえよ』は違った。
僕自身、世間一般でいう「ヤングケアラー」の経験があったと思っている。小学6年生くらいから心の病を患った母親の面倒を看ながら6歳下の妹を育てていた。父親は単身赴任でいなかった。
家族分の炊事洗濯、自分の部活や勉強、妹の学校準備、全部僕がこなしていた。
そんな経験をまとめ、今では日本全国で講演会も行わせてもらっている。
そこで感じるのは会場のお客さんからの「大変だったねぇ」「可哀想だねぇ」の眼差し。
著作でも「お母さまを助けたいという愛情がなせたことなんですね」みたいな言葉を沙智はかけられていた。
同じように僕も「妹さんやお母さんへの愛があったから、自分の時間を切り崩して頑張ってこれたんですよね」なんてことを言われたことがある。
全然違う。何にもわかっちゃいない。
自分がご飯を作らなかったら誰も作らない、だから作る。どうせ作るなら1人分も3人分も大して変わらないから家族分も作ってた。洗濯も1人分するのも家族分するのも変わらないからやっていただけだし、妹の面倒を看ていたのだって、僕が何かしなきゃ妹が死ぬだろうから、その世話をしていただけだ。
これが当時の僕のリアルな気持ち。
感情なんてない。愛なんて知らない、教わってもいない。
それでも淡々と家事や学業を切り盛り出来ていたのは、幼い時に感情を捨てる知恵を得たからなのかも知れない。
その知恵のおかげで40歳を過ぎた今でもほとんど僕には感情の起伏がない。
周りを見て、悲しむべきだと思えば悲しむし、楽しそうにした方が良いな、と思ったら楽しそうにはするが、基本淡々と日々変わらずに生きている。
まるで人造人間だ。
大五郎を抱えてゲロまみれになった母
確かに料理しながら勉強して妹のことも気にかける少年時代を送っていたから、大人になった今でも3つ4つのことは同時に出来る。
「マルチタスク」と呼ばれるその能力は、先天性なのか後天性なのか、もはや分からない。
だが、ヤングケアラーの人は沙智も含めほとんどの人間がマルチタスクを備えているらしい。
極論、ヤングケアラーはマルチタスク工場なのだと思う。
どこかのとんでもない思想国家で人体実験したら、きっと窮地に追い込まれた子ども達は、みんな感情を失いマルチタスクを得ることになる研究結果が出ることだろう。
作品を読んで、僕は何度も笑った。沙智の自転車の荷台におぶっていたお母さんを移してパチンコに行くお父さんのことも、単純に面白いなーと思った。
世間には可哀想、ひどいと思う人がいるのかも知れないことは分かっているけれど、僕個人としては笑った。
僕の場合、母親が4リットルの大五郎を1日で飲み干してゲロまみれになった話や、玄関でオレンジジュースを大事そうに抱え眠っている母親を、忍び足で避けながら部屋に入ると家中のコンセント全てに少しずつケチャップが塗られていた話、まだ若手だった頃ウケると思ってお客さんの前で話した。
ひどくスベった。
楽屋で先輩芸人に話した時はあんなにウケていたのにと、スベったことに首を捻っていたが、きっとあの時お客さんは心配してくれていたんだろうな。
そういえば「可哀想に」って目をしていたような気もする。
でも、僕は芸人の道を選んで救われてた。



























