『永久不滅の広告コピー』
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【毎日書評】1980年代を代表する、いまでも新鮮な広告コピーが生まれた理由
[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)
人の心を動かし、行動を促す広告。長く愛されるネーミング、企業の人格を形づくるキャッチフレーズやスローガン。テレビやラジオから聞こえてくる印象深いセリフやナレーション……。そこには、いつの時代も優れたコピーがあり、その背景にはコピーライターの存在がありました。(「はじめに」より)
『昭和・平成・令和 時代を超えていまなお心に残る 永久不滅の広告コピー』(宣伝会議 編集部 著、宣伝会議)にこう書かれているとおり、私たちは知らず知らずのうちに、さまざまなコピーを目にしながら歩んできました。
そして1957年にコピーライター養成講座をスタートし、現在まで68年にわたって活動を続ける「宣伝会議」は、ある考えにたどりついたようです。
これからコピーライターを目指す人や、いままさにコピーライターとして活動している若い世代に向けて、「この先も語り継ぎたいコピー」「後世に残したいコピー」を伝えていくべきではないかと。
そのような思いに基づき、月刊『ブレーン』の連載「名作コピーの時間」を中心に、過去の特集などで紹介したコピーのなかから“残すべき作品”を編集部が厳選したのが本書。
一番こだわったのは、ご本人、あるいは一緒に仕事をしていた人に書いていただく(話を聞かせていただく)ことでした。それぞれのコピーにまつわる話はコピーライティングということを超えて、公告界において今だから残せる貴重なドキュメント(記録)にもなりました。(「はじめに」より)
つまりここでは、その広告の背景や時代を踏まえたうえで、生まれるべくして生まれたさまざまなコピーを再確認できるのです。
きょうは1980年代に生まれた2つの名コピーを、それらを書いたコピーライターのことばとともにご紹介してみたいと思います。
新しい商品ラインをつくりだすために
わけあって、安い。
(42ページより)
1980年/良品企画/企業広告(※わけの上に丶が入る)
C:小池一子
当時大きな話題を呼んだ_このコピーは、“新しい商品ラインをつくりだす”という企画発想から生まれたキャッチフレーズ。スーパーマーケットの西友がプライベート・ブランドを立ち上げるにあたり、核心となる品揃えに共通する思想のようなものを取り出して言語化しようという思いがあったそう。
前提としてあったのは、トップマネージメント、商品部、宣伝部、クリエイターが少人数で討議する仕組み。商品を少しでも安く消費者に手渡すことを踏まえたうえで、「なぜ安くできるか」の理由を率直に書いたのだといいます。
それがボディコピーを構成する。受け手(消費者)に直接届き、広告の成果が上がりました。経済環境は上向きで海外ブランドの直営店が青山にも進出してくるという時代です。その青山に第一号店を出店するという経営判断がこの広告と並行して行われています。
ADの田中一光さんが生活美学とも言える知見の持ち主、経営者の堤清二氏は時代のニーズを鋭く見据えている。
二人を中心とする会話にコピーの核心を見いだしました。(43ページより)
素材選び、生産工程、包装の3つの局面での無駄を省く試みは、いまでいうSDGsの先駆けであり、その考え方が現在につながる無印良品への支持につながっているわけです。その一方で小池さんは、こうした考え方が一般に浸透してきた現在において、市場競争の激化も実感していると述べています。(42ページより)
サマセット・モームから
想像力と数百円
(74ページより)
1984年/新潮社/新潮文庫の100冊
C:糸井重里 CD:糸井重里
「想像力と数百円」という有名なコピーはキャッチフレーズではなく、「新潮文庫の100冊」というキャンペーン全体のショルダー・コピー(キャッチ・コピーを補完するためのコピー)。
その着想のヒントになったのは、サマセット・モームの小説『月と六ペンス』。「六ペンス」という言葉が詩的でかっこいいので、読んでもいないのにいいなと思っていました。「六ペンス」の代わりに「数百円」を入れることで、知(想像力を得る読書)が商品のようにも思えてくる。知は「商品ではない」という意見と、「商品だ」という意見をつなげる橋のような存在にもなっているんです。(75ページより)
新潮文庫のコピーといえば、仲畑貴志さんが手がけた1979年のコピー「知性の差が顔に出るらしいよ…困ったね。」が有名。そのためプレッシャーも少なくなかったはずですが、このとき糸井さんはまず、広告に起用するタレントを考えたのだとか。
指名したのは、シンガーソングライターの井上陽水さん。「陽水さんの歌詞は文学的なので、新潮文庫のイメージに合っている」と思ったことから思いついたのだそうです。
新潮文庫の広告を年間で引き受けたからこそできる企画にしたかった。そこで考えたのが、正月の広告は真夏のグアムやサイパンなど南の島を舞台に、夏の広告は真冬の北海道・然別湖の雪景色というアイデア。1984年の正月広告では「自慢ではありませんが井上君もダザイでした。」、1985年の夏の広告では「インテリげんちゃんの、夏やすみ。」というコピーをつくりました。(75ページより)
根底にあったのは、「ショルダーコピーがしっかりとあれば、広告そのものはのびのびと自由にできる」という発想。そして、このとき自由度の高い企画が実現できたのは「想像力と数百円」という、新潮文庫の姿勢そのものを表現しているコピーがあったからだと糸井さんは振り返っています。(74ページより)
各時代の流れのなかで、コピーライターが商品やブランドとどう向き合い、そこから得た思いをどのように言語化したのか――。そうしたことを実感できる本書は、コピーライターのみならず、すべての生活者にとって価値のある一冊であるといえます。
Source: 宣伝会議


























