『「まさか」の人生』
- 著者
- 読売新聞社会部「あれから」取材班 [著]
- 出版社
- 新潮社
- ジャンル
- 社会科学/社会
- ISBN
- 9784106110894
- 発売日
- 2025/05/19
- 価格
- 1,034円(税込)
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【毎日書評】まさか、お店に客が来ない?日本初のマクドナルドを救った人たちの正体
[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)
読売新聞社会部「あれから」取材班といえば思い出すのは、かつて日本中が注目したニュースの「あの人」に焦点を当てた2022年の『人生はそれでも続く』。その時点で明らかだったように、「あれから」は過去のニュースの当事者に改めて話を聞き、それぞれの人生をたどる人物企画です。
人選にこだわり、3か月から1年近くかけて取材を行うという姿勢もポイント。もちろん、新刊『「まさか」の人生』(読売新聞社会部「あれから」取材班 著、新潮新書)においてもその姿勢は健在です。
本書に登場するのは、かつて新聞のニュースになるような「まさか」に直面した人たちです。当時、誰もが驚いた出来事、今や歴史の一場面となっているような出来事に遭遇した人たちが、その衝撃のさなかに何を考え、その後の人生をどう生きたのか。本書のもとになった読売新聞の連載企画「あれから」は、そうした人々の軌跡を時間をかけて追ってきました。(「おわりに」より)
52歳にして人生が振り出しに戻った名物プログラマー、運営ミスで失格したため目前で「五輪内定」を逃した競歩エース、「地下鉄サリン事件」を出発点とする科学捜査官など、登場する20人の生き様も多彩。
それぞれがコンパクトにまとめられているため、気負うことなく読み進められるところも魅力です。
良いことばかりの人生などありえないと、誰もが頭ではわかっています。しかし、実際に自分が苦しいことや辛いこと、気が滅入って仕方がないことに直面すると、やはりこう思うことはあるでしょう。「まさか、私が」「なぜ、自分がこんな目に」と。(「おわりに」より)
そんなとき力になってくれそうな本書のなかから、きょうは「銀座に上陸したマクドナルド1号店、お客が来ない日々」に焦点を当ててみたいと思います。
20代:店長の悩み「客足が伸びない」
おなじみのマクドナルドが米国から上陸したのは、いまから54年前の1971年7月。「東京のど真ん中から日本の食文化を変える」という願いを込め、銀座三越の1階に1号店がオープンしたのでした。
当時は大きな話題を呼んだものですが、店長だった山迫毅さん(当時29歳)は焦っていたようです。なぜなら思うように客足が伸びず、1時間誰も来ない日もあったから。わずか45平方メートルの店舗には座席がなく、店先で立って食べるか持ち帰るしかなかったことも、「行儀が悪い」と立ち食いが敬遠されていた時代にそぐわなかったのかもしれません。
しかし間もなく、80円のハンバーガーを目当てに若者が押し寄せることになります。それは1号店が営業を始めてから数週間後の1971年8月、よく晴れた日曜日のことだったといいます。
店の前に現れた外国人たちが、黄色の「Mマーク」の看板を指さし、興奮した様子で口々に叫ぶ。「オーマイゴッド」。50〜60人はいただろう。そのまま店内になだれ込み、英語で次々と商品を注文していく。
次に見せた行動に目を見張った。目の前の「銀座通り」に座り込み、ハンバーガーにかぶりつく。コーラ片手に、歩きながら食べる人もいた。「行儀は良くないんだけど、本当にうまそうに食うんだよ」(150〜151ページより)
銀座通りはその1年前から日曜日と祝日の「歩行者天国」が始まり、多くの人が行き交っていました。そんななかに現れた外国人の集団は、静岡県で行われたボーイスカウトの世界大会の参加者だったそう。制服姿で立ち寄った銀座にマクドナルドがあることに驚き、慣れ親しんだ味を求めてやってきたわけです。
そして、この日を境に若者や女性の来店が一気に増えたのです。手づかみで頬張るのが「おしゃれ」になり、誰もが堂々と立ち食いを始めたわけです。初日の売り上げは約40万円で、目標の100万円には及ばず。そんな状況下で訪れた外国人の集団について、若き店長だった山迫さんは「あの人たちは、天から降ってきたようなビッグプレゼントだった。俺はついていると思ったよ」と語っています。(149ページより)
調理後時間が経ったものは廃棄する。10分ルールへの疑問
しかし店を切り盛りするなかで、山迫さんには納得できないこともあったようです。
「作って10分過ぎた商品は捨てる」というマニュアルの規定。客を待たせないよう、完成したハンバーガーを店頭に並べて販売していた。
「食べられるのにもったいない」。米国の本社から来ていた社員に訴えると、一蹴された。「これがマクドナルドのやり方だ」。店長としての甘さを突きつけられた気がした。
廃棄を減らし、利益を上げるにはどうしたらいいか――。曜日や天候、時間帯から客足を予想。周辺のイベント情報も集めるようになった。「マニュアルにない工夫の大切さを知った」(156ページより)
ただし店のにぎわいは、新たな火種をも生むことにもなりました。銀座三越に顧客から、「見苦しい」と立ち食いに対する苦情が寄せられたのです。そこで「放っておくとまずい」と感じた山迫さんは、歩行者天国の日は座って食べられるようにと、道路にイスやパラソルを設置。その光景はメディアでも取り上げられたので、ご存じの方もいらっしゃるのではないでしょうか。
しかも、それだけではなかったようです。昼過ぎになると、三越の担当部署や近くの交番に足を運び、アップルパイとコーヒーを差し入れたというのです。交番への差し入れはいまの時代では考えにくいことですが、それだけ穏やかな時代だったのかもしれません。
また、ポイ捨てを防ごうと、数十個のゴミ箱を路上に置き、清掃専門のスタッフも20人雇ったのだとか。「摩擦が生じないよう必死だった」と山迫さんは振り返っています。
アルバイトだった市東宗男さんは「山迫さんは100人以上いたスタッフの名前を全て覚えていた。調理、接客、事務と何でも完璧にこなすスーパーマンだった」と話す。
銀座店は72年10月8日、一日の売り上げが222万1160円に達し、全世界の店舗の新記録を樹立した。市東さんは「一日中、パティ(肉)を焼き続けた。お祭り騒ぎだった」と懐かしむ。(156〜157ページより)
山迫さんがその歴史的な一日に立ち会えなかったのは、ハンバーガー大学(マクドナルド内にある企業内大学)への転勤を命じられたから。学長になって伝えたのは「笑顔の大切さ」で、1号店から始まったその伝統は脈々と受け継がれることに。80年代に大阪のスタッフの発案でメニューに加わった「スマイル0円」は、マクドナルドの代名詞になったのでした。(155ページより)
注目すべきは、「どんな『まさか』であっても、そこで終わる人はいない」という記述です。本書には想定外の出来事に直面した人たちが登場しているわけですが、なにより重要なのは、各人がそこから目の前の問題と向き合い、考え、乗り越え、生きていること。その姿は、私たちが自分の人生を生きていくうえで、大きなヒントを与えてくれるはずです。
Source: 新潮新書


























