『若者恐怖症 職場のあらたな病理』
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【毎日書評】職場で年長者は若者に怯え、若者は心を閉ざすのはなぜか?
[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)
30代の大学教員である『若者恐怖症――職場のあらたな病理』(舟津昌平 著、祥伝社新書)の著者は、「われわれは、年下のことが怖いのである」と述べています。
仕事柄、日常的に接点のある若者とは大学生を指すようですが、そのことを前提としたうえで、“若者の怖さ”を認めざるを得ないようなのです。
令和の世は、若者こそが権力の源泉になりつつある。しかもその若者というのは20歳前半くらいの若造を指していて、30代は老害に膝くらいまで浸かっているみたいだ。
いつどのように、このような権力の転倒が起きたのだろうか。古今東西、年長者が偉くなかった社会などないように思われる。それが良いかは別として、いつも年長者は偉かった。現代社会は少なくとも部分的にはそうじゃなくなっている。年長者の生殺与奪を若者が握っていて、知識も経験もあってだからこそ権限を得ていたはずの年長者はすっかり若者にビビってしまっている。(「はじめに」より)
本当にそうかなあと疑問を感じずにはいられない部分もありますが、ともあれ著者はそう考えているようなのです。
そこで本書では若者への恐怖感を克服すべく、おもに経営学の視点から「職場の若者」を紐解いているのだとか。したがって想定される読者層は、「若者や年下のことが怖い人々」だということになります。
具体的には、年下の部下を持つ管理職の方、職場に若者が多い方、なぜだかいつも若者の顔色を窺っている方など。
もちろん、そうした上の立場の視点から若者を論ずることには、相応の意義があるに違いありません。しかしその一方、客観的な視点に立つのであれば若者の気持ちを察することもまた大切なのではないでしょうか。
そこで、第7章「持病とつきあっていく」内の「若者だって怖いんだ」という項目に焦点を当ててみたいと思います。
疑問があるなら訊いてみればいい
最近の若者の多くがインスタグラムにハマっていることは、「目の前の若手社員が“必ず”インスタをやっていることを意味しない」と著者は述べています。それは当然のことであり、「若者の飲み会離れが叫ばれているとしても、すべての若者が飲み会を嫌がるわけではない」のと同じ理屈です。
だからこそ、「最近の若者ってインスタやってるそうだけど、あなたはどうなの? どう思う?」と訊いてみればいいのだと著者は主張しています。
このand you? にはシンプルな効果がある。「目の前の相手を見ていること」が担保されるのだ。「一般論はこうだからあなたもこうだ」ではなくて「一般論はこうだけどあなたはどうなの?」と話が展開されるべきだ。
若者論の問題は、一般論や平均的な傾向を導くどうこうではない。少数のサンプルから推論を行うことでもない。目の前の人間を「どうせお前もそうだろう」と決めつけることにあるのだ。
若者論は「こんな若者しかいない」と「人それぞれだ」の両極端で揺れすぎていて、レベルの低いところでワケがわからなくなる。まずはその「一般性」をめぐる混乱を紐解き、傾向と個体の差を認識することからだろう。(247ページより)
「若者だから」とひとまとめにして、「どうせお前もそうだろう」と決めつけることに問題があるという考え方です。(247ページより)
若者も怯え、迷って生きている
「自分の意見を口に出すのは怖い」とか、「否定されたらどうしよう(味方がいると安心する)」などという意見を耳にすることは少なくありません。つまり、誰にとっても否定は怖いわけです。しかも、いまの若者は余計そうなのだろうと著者は考えているようです。
若者とて、逡巡と葛藤そして恐怖のなかで生きているのだ。それこそ昔からそうだったはずである。思春期という概念があり(そういえばあまり聞かなくなった気がする)、コンプレックス(複雑さ)を抱え、若者は生きている。
楽しいクラスで一体感を持ちつつ多元的な価値観だの、多様性を重視して倫理性が高いだの、なに抜かしとんねんと若者も思うのじゃなかろうか。こちとらそんな崇高な思想にたどり着く前の、もっと肌身の人間関係で悩んどるっちゅうねん。(250ページより)
もちろんこれは思春期世代に限った話ではなく、若いビジネスパーソンにとっての思いでもあるでしょう。(249ページより)
社会にはびこる不真面目さ
怖い気持ちを克服するためにコミュニケーションをとろうとしても、それを妨げるものが「不真面目さ」なのだと著者。
ちなみにここでいう不真面目とは、目の前にいる人のことばをそのまま信頼しようとはせず常に裏読みをして、隠された意図や目的を推測するような性向のこと。
よくあることではありますが、若者がそういった“不真面目なコミュニケーション”を基軸にするのはとても危険だと著者はいいます。正直なところ、先行世代である大人がそうさせているとしか思えないのだとも。
不真面目さが危険なのはインフルエンサーや悪徳業者の常套手段でもあるからだ。
政府のメッセージや有名人の発言を常に信じず「本当は」「真の」といった文句で「あなただけは騙されてはいけない」と誘引する。
でもそう思ってしまう気持ちもわかる。地位の高い人たちが堂々とごまかした発言をする。一部マスコミの権威も失墜しつつある。就職活動だってフェアとは感じられない。社会が不真面目だから若者も不真面目になるのだ。(256ページより)
理解の根本に不真面目さを求めるコミュニケーションは、いうまでもなく健康的ではありません。それどころか、結果的に大きな軋轢を招いてしまう可能性もあります。なぜなら、不真面目さには規範がないからです。
なにかを頼りにしようと思っても、最後までエビデンスもデータも存在しない状態。そのため“正解のない世界”に対し、斜めに構えるだけの人生になってしまうということ。
たしかにそのような角度から捉えてみれば、若者の気持ちに多少なりとも寄り添うことができるのではないでしょうか。(252ページより)
「年下に恐怖しなくて済むように、本書を通じて若者のことについて考えていきましょう」と著者は提案しています。なるほど、お互いの立場を認め合いつつその点を熟考し続ければ、やがて接点が見えてくるかもしれません。
Source: 祥伝社新書


























