『ラストインタビュー』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
取材現場に立ち会う臨場感
[レビュアー] 池上彰(ジャーナリスト)
早見和真著『ラストインタビュー 藤島ジュリー景子との47時間』は、ジャニーズ事務所の二代目社長、藤島ジュリー景子氏と小説家・早見氏との対話を収めた話題の書だ。この本を識者はどう読んだか。
池上彰氏によるレビューをお届けする。
池上彰・評「取材現場に立ち会う臨場感」
ジャニー喜多川の性加害問題で大揺れに揺れ、遂に看板を下ろしたジャニーズ事務所。この問題で二〇二三年五月に旧ジャニーズ事務所の公式ホームページで謝罪の言葉を述べた藤島ジュリー氏。以後、彼女は被害者への救済に当たっていると見られるものの、ほぼ表に出てくることはなかった。その人が長時間にわたって独占インタビューに応じて一冊の本になったというのだから注目を浴びるのは当然だろう。
でも、なぜインタビューに応じることになったのか。
聞き手は作家の早見和真氏だ。早見氏によると、性加害の問題が表面化する前、新潮社の名物編集者と表現すべきか、執行役員の中瀬ゆかり氏らと会食したのが初顔合わせだった。その後、一連の問題が起きると、藤島ジュリー氏から体験を本にしたいと言ってきたという。
この経緯で面白いのは、早見氏が当初インタビューを「週刊文春」に掲載することを考えていたという点だ。「週刊文春」は早くからジャニー喜多川の性加害の問題を記事にしていたし、藤島ジュリー氏を批判的に扱う記事も書いていた。そこに掲載すれば、話題を呼ぶだけでなく、長く敵対関係にあった雑誌だからこそ公平性を担保できると考えたそうだ。なるほど、そういう発想があるのだ。だが、そうはならず、新潮社から単行本の形で出版されることになった。このあたりの経緯は、出版事情に詳しくない人にとっても興味深いだろう。
こうして、結局は早見氏による計四七時間のインタビューが実現することになった。
ただし、このインタビューの形式は、議論を呼ぶものになる。早見氏は、藤島ジュリー氏に、こう告げているからだ。
「今回、僕はジュリーさんの話の裏取りをしようとは思っていません。あくまでジュリーさんの側から見た事実、いまのジュリーさんが考えていることこそが重要だと思っていて。なので、記憶が曖昧なら曖昧だと伝えてください。ちゃんとその旨も原稿に記します」
ここは作家とジャーナリストの違いなのかもしれない。ジャーナリストなら裏取りをしていないことは記事にできないと思ってしまうからだ。
しかし、早見氏は作家として、まずはジュリー氏に寄り添う形で発言を続けさせようとしている。その結果、聞き手に心を許したジュリー氏の声を聞くことができるのだ。
また、この本では全編が二人の会話で構成されている。相手の話をまとめるという手法ではないのだ。これが不思議な世界を作り出している。私たちは、まるで二人の対話の場に同席して肉声でのやりとりを聞いている気分になるからだ。たとえば次のようなやりとりだ。
「ちなみにいまさらなんですけど、こういうときって『ジュリーさん』と呼んでもいいものなんですかね」
「もちろんです。『ジュリー』の方が気楽です」
「なら良かった。今日はいろいろ聞きたいことを用意してきたんですけど、最初の質問はそれだろうなって。そもそも『ジュリー』というのは何なんですか? ミドルネーム?」
思わず、うんうんと頷きながら聞き入ってしまうではないか。
話の中には興味深いエピソードも多数含まれている。ジュリー氏の娘が慶應義塾大学の入学式に出席する際、櫻井翔氏が日吉まで付き添ったことなどファンには知って嬉しいエピソードが頻出する。
ここで藤島ジュリー氏とジャニー喜多川の関係を整理しておこう。ジャニー喜多川の本名は喜多川擴(きたがわ ひろむ)。ショービジネスで知り合ったアメリカ人から呼ばれた愛称を自称するようになったという。
ジャニー喜多川の姉が藤島メリー泰子。東京新聞記者で後に作家となる藤島泰輔との間に生まれたのがジュリー氏だった。当時の藤島には妻がいたがメリーと内縁関係になってジュリー氏が生まれ、その後、妻との離婚が成立してメリーと結婚している。
ジュリー氏の話だと、両親は激しい喧嘩をすることもあり、メリーから激しく怒られることもしばしばあって、パニック障害になったという。
二〇一九年にジャニーが死去したため、ジュリー氏がジャニーズ事務所の代表取締役社長に就任している。この立場でジャニーの性加害について、果たして知らなかったのか。本人は「知らなかったでは決してすまされない話だと思っておりますが、知りませんでした」と謝罪の際に説明している。
それは本当なのか。これより先は、二人の会話から、読者が何を読み取るかにかかっている。


























