『土井善晴の言葉』
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【毎日書評】ただの二代目じゃない。土井善晴が若い頃に料理から学んだ「仕事に取り組む姿勢」
[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)
『「一汁一菜」で食卓を変える 土井善晴の言葉』(桑原晃弥 著、リベラル社)の主役である土井善晴氏(以下、敬称は省略)は、料理研究家・土井勝の次男として1957年に大阪で生まれた人物。1957年から「きょうの料理」の講師を務めた土井勝は、家庭料理の第一人者として知られています。
土井は父親と同じ職業に就き、父親が講師を務めていた「土井勝の紀文おかずのクッキング」(後の「おかずのクッキング」)を引き継いで20年以上出演していたため、「後を継いだだけの2代目」と見られることもありました。
こういった見方を覆すかのように、土井は和食文化の伝統を踏まえた「一汁一菜」という家庭料理の形を提案します。気軽に料理をするきっかけをつくったことが高く評価され、2022年度文化庁長官表彰を受賞するなど料理の世界に革命を起こしました。(「はじめに」より)
著者によれば土井の強みは、20歳のころからスイスとフランスで本場の料理を学んだのち、日本の名店で和食を学んだこと。1982年にフランスから帰国し、父親の料理番組のアシスタントとして働くなか、自分が和食のことをなにも知らないことを自覚し、日本料理の名店である「味吉兆」での修行を決意したというのです。
修行後はふたたび父親のサポートを行い、個人の仕事も増えていくことになったそう。1987年に父親が病に倒れてからは、1992年に設立した「おいしいもの研究所」を拠点として、地方のレストラン開発や指導、若い人向けの勉強会などに尽力。こうした勉強会が、「一汁一菜」を提案するきっかけになったわけです。
本書は、そんなプロセスを経てきた土井のことばを著者の桑原氏が集めた一冊。
特徴的なのは、「一汁一菜」を筆頭とする料理に対する考え方だけでなく、修行をしていた時代のことばなども含まれている点。つまり、華やかな側面ばかりでなく、その下地となった人生経験にもしっかりと焦点が当てられているわけです。
きょうは第五章「あきらめずに最善を尽くす」のなかから、いくつかのことばを抜き出してみたいと思います。
厳しい環境で自分を鍛える
厳しいところに身を置くことでしか、自覚していた弱い自分を鍛えることができないことだけはわかっていました
▶︎『一汁一菜でよいと至るまで』
(108ページより)
楽な環境に身を置き続ける限り、“いまの自分”を変えることはできません。もしも自分に足りないものを知って変わりたいのなら、厳しい環境に身を置いて懸命に努力するしかないわけです。
上述のとおり土井善晴は、父親の土井勝が多方面で活躍していたため、大学に入るまでは「ただのどら息子」だと思われていたようです。
しかし大学3年生になる前、料理を学ぶために一念発起してスイスに渡ったのでした。スイスでは無給を条件に、五つ星ホテル「ローザンヌ・パレス」で、帰国後は神戸の「ビストロ・リヨン」で働いたのだそうです。
最後に入ったため、トイレやサロンの掃除をすべて済ませたあと、まかないの食事をつくる仕事を任されていたのだとか。厳しい環境であり、その証拠にあとから入ってきた新人はみな1、2週間で辞めていったといいます。
土井自身、嫌になることもあったといいます。しかし「あかんたれ」(弱虫)を治すには厳しい環境に身を置くことが大切だと考え、1年間頑張ったのです。(108ページより)
具体的になにかを教わったわけではないものの、一流の環境から「なにかを感じ取り、少しは成長できた」と、著作『一汁一菜でよいと至るまで』に記しています。(108ページより)
若いときにだけ学べることがある
新人が仕事を身につけるためには、ともかく一生懸命やることです。若いうちにしか身につけられない物事がある
▶︎『一汁一菜でよいと至るまで』
(112ページより)
土井善晴は海外から帰国し、神戸の「ビストロ・ド・リヨン」で大学卒業まで働いたのち、大阪の「味吉兆」で修行しています。「ビストロ・ド・リヨン」では厨房とフロアを交代で担当し、複数の作業を同時にこなして力をつけたのだといいます。
「味吉兆」では、きれいな姿勢で立つこと、集中してすばやく作業をすることを心がけていたそう。つまり修行時代はどんな環境でもとにかく一生懸命に働くことを心がけていたわけです。
その理由は、基本は若いうちにしか身につけられないものであり、その基本があってこそ初めて知識や技術が身につくと考えていたからです。(113ページより)
いまの時代は入社後3年以内に辞めてしまう若者も多いようですが、若いうちはとにかく一生懸命やってみることも重要。成長は、その先にあるからです。(112ページより)
任された仕事に責任を持つ
誰かが補ってくれている内は、仕事をしていることにならないのです
▶︎『一汁一菜でよいと至るまで』
(118ページより)
仕事には時間をかけて行わなければならない作業がある一方、場合によっては時間をかけるべきものを短時間でなんとかしなければならないこともあるもの。土井善晴の修行時代もそうだったといいます。
そんなとき、「無理です」とあきらめてしまったのでは話になりません。無理を承知で要望に応えるのがプロだからです。これは、どんな仕事にもいえることです。
仕事のなかで難しいことに直面したとき、自分の中で「できる」ことと「できない」ことを簡単に線引きしてしまえば、いつまでも本物の実力は身につきません。(119ページより)
自分が任された仕事には責任を持って、最善を尽くす――。土井も、「仕事をする」というのはそういうことだと述べているそうです。(118ページより)
「人は成功者の結果ばかりを見がちですが、実はそこに至るまでの日々にこそ学ぶべきものがあるのです」という著者のことばどおり、本書に収められていることばの数々は多くの人に響くはず。つらい状況にあるときこそ、ぜひとも手にしてみたいところです。
Source: リベラル社


























