真の触れ合い求める男の二人旅、文芸・小説

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真の触れ合い求める男の二人旅、文芸・小説

[レビュアー] 宮下遼(トルコ文学者)

宮下遼さん(トルコ文学者)のポケットに3冊

〈1〉『クィア』ウィリアム・S・バロウズ著、山形浩生、柳下毅一郎訳(河出文庫、1100円)〈2〉『盲目の梟』サーデク・ヘダーヤト著、中村公則訳(白水Uブックス、2090円)〈3〉『翻訳はおわらない』野崎歓著(ちくま文庫、1100円)

 飄々(ひょうひょう)たる青年と彼に惹(ひ)かれる中年男。『クィア』は究極のドラッグを求める二人の旅を小気味よい罵詈(ばり)と至言で彩りながら描く。行き当たりの欲望と、真の「触れ合い」への渇望との間を往還する男が、別離の果てにようやく向き合うのは自分の孤独。切ない恋の物語だ。

 詩の国イランからは名訳の復刻版『盲目の梟(ふくろう)』。表題作は病身の主人公が阿(あ)片(へん)の酩酊(めいてい)の随(まにま)に去来する女たちへ恋情を綴(つづ)るという、イスラーム世界の耽(たん)美(び)な文学的伝統をなぞるように幕を開ける。しかし男の独白はやがて淫蕩(いんとう)で不品行な女たちへの憤怒と諦念へと変じていく。そのさまは物語創作を韻文で行う伝統を墨守したペルシア詩人が、ついに西欧伝来の散文小説という様式に膝を屈した恨みの変奏にも思われる。でも、理想の美を描くべく磨かれた詩の技は、現実という名の卑しさを直視するよう強いる近代に盲従せず、それをしたたかに包摂して幻想小説へと昇華してみせる。

 共に恋と性を描くからなのか、両作は全く異なった言語と文化を超えて引き比べたくなる格調を保つ。きっと原語が発する個性と美がいずれも再現されているからだ。『翻訳はおわらない』は、訳者の力量が作品に対して負うその責任を丁寧に思い出させる。責任逃れの直訳は無粋、かといって自由が過ぎれば毒になる。経験と、軽妙なユーモアとが名訳を生むのだと励ましてくれる良本だ。=寄稿=

読売新聞
2025年8月15日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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