『八木重吉詩集』
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聖書のみに依る信仰はあやうし!
[レビュアー] 野崎歓(仏文学者・東京大学教授)
名著には、印象的な一節がある。
そんな一節をテーマにあわせて書評家が紹介する『週刊新潮』の名物連載、「読書会の付箋(ふせん)」。
今回のテーマは「聖書」です。選ばれた名著は…?
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八木重吉はキリスト教信仰をもつ詩人である。だが教会に属してはいなかった。
『八木重吉詩集』をひもとくと、集団に属したり教義に帰依したりするのは苦手な人だったろうと思える。あまりにひたむきで傷つきやすい。序にいわく「私は、友が無くては、耐へられぬのです。しかし、私には、ありません」。体は病弱、結婚して二児に恵まれながらも暮らしは貧しい。そんな彼にとって聖書はかけがえのない友だったようだ。
「ギリシャ語の聖書をよめば/とをのうちのたったひとつのいみがわかるだけでも(中略)/おさなごのようにたんじゆんなまことが/すぐさまこころへふれてくるのをかんずる」
新約聖書のギリシャ語原本を読み解こうとするのだからまるで聖書学者だ。しかも八木の詩は決して堅苦しくなく、「おさなご」の言葉のような響きを失わない。しかし聖書との関係はやがてこう変わる。
「聖書のみに依る信仰はあやうし! われ今にしてこれをしる、おそきかな、」
そう記した年、重吉は結核罹患の診断を受け、翌年逝去してしまう。享年29。残された作品は痛ましいほど純度が高い。「鉄がとけるように/論理もとけてくる/きりすとはただしかったのだ」。そんな確信とともに安らかに逝ったと思いたい。
日本のキリスト教徒は人口の約1パーセント。しかし聖書の発行部数は米英につぎ世界で3番目だという。八木のように聖書と親密に対話する詩人はいまもいるのだろうか。


























