『日本群島文明史』
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<書評>『日本群島文明史』小倉紀蔵 著
◆偶発的な生命がもたらす変革
「日本」を群島として捉える。その群島に紡がれる歴史と文化は、大陸に対して閉鎖と開放という複雑な過程を繰り返しながら進展してゆく。それゆえ、「日本」だけを特権的な対象として取り上げ、固定的に考えてはならない。群島の歴史と文化は、なによりも個別と全体、特殊と普遍の「間」に生じるからだ。その結果として、群島には、生と死、男性と女性、人間と動物(さらには植物や鉱物)、人為と自然という分割にあらがうような「間主観的」で「多重主体的」で「偶発的」な生命が見出(みいだ)される。
そのような特異な生命を表現するためには、論理の言葉ではなく、なによりも文学の言葉が必要である。群島である「日本」では、いち早く女性たちが文学を紡ぎはじめた。文学を語るためには、男性であり大人である「人間」が特別視されてはならない。森羅万象すべてに生命が宿るという「アニミズム」ではなく、特定の人と人、人と物、物と物の間に偶発的な生命が立ち現れてくる「アニマシズム」こそが群島の世界観の基盤に据えられなければならない。ただし「アニマシズム」は善悪という区別を持たず、それゆえに暴力的な破壊をもたらすとともに、それが変革にも通じていく。群島において、そうした変革は美的な領域から起(おこ)り、それを担うのは社会の周縁に位置する人々であった。「日本」の歴史と文化が、その総体として、まったく新たに捉え直されていく。きわめて大胆な文明論である。
それゆえ、本書が提起する諸論点に関してはさまざまな異論も存在するであろう。私自身、著者の見解のすべてに納得しているわけではない。しかし、学問の細分化とグローバル化が同時に進行している現在、新時代の「世界哲学」の課題として、群島という視点から世界と哲学の双方を同時に相対化していくこと、さらには善悪が固定されないダイナミックな歴史の叙述を推し進めていくことは必要不可欠であろう。そう言った意味で、本書はきわめてアクチュアルで巨大な課題を提示してくれている。
(ちくま新書・1540円)
1959年生まれ。京都大名誉教授・東アジア哲学。『朝鮮思想全史』。
◆もう1冊
『生きていること 動く、知る、記述する』T・インゴルド著、柴田崇ほか訳(左右社)


























