父に「殺されるかも」と思うほどの壮絶喧嘩をした伊藤亜和 「ヤングケアラーの女子高生」に“睨まれて”わかったこと

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救われてんじゃねえよ

『救われてんじゃねえよ』

著者
上村 裕香 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103562313
発売日
2025/04/16
価格
1,540円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

父に「殺されるかも」と思うほどの壮絶喧嘩をした伊藤亜和 「ヤングケアラーの女子高生」に“睨まれて”わかったこと

[レビュアー] 伊藤亜和(文筆家)


伊藤亜和さん 写真: (c)光文社/根本真裕美

 noteに「パパと会わなくなって7年経った」という一文で始まるエッセイ「パパと私」を投稿し、X(旧Twitter)で注目を集めた女性がいる。セネガル人の父と日本人の母を持ち、文筆家やラジオパーソナリティーとして活動する伊藤亜和さんだ。

 警察沙汰にもなった父との喧嘩で「殺されるかも」と感じ、以降は関係が断絶してしまった父への思いをエッセイに綴った伊藤さん。

 そんな彼女が八畳一間のアパートで難病の母を介護しながら暮らすヤングケアラーの女子高生・沙智を描いた小説『救われてんじゃねえよ』(新潮社)を読み、初めて気づいたことを明かした。

「かわいそうじゃねえよ」

 家族について書いていると、ときどき分からなくなる時がある。「大変だったね」とか「ひどい親だね」とか「でも愛があるね」とかいろいろと言われて、「そうですかね」なんて曖昧に笑いながら「ぜーんぶ違うよ」と言ってしまいたくなる時がある。憎いとか愛してるとか、書けば書くほどとくにないような気がしてくる。奴ら家族は生まれたときからあたりまえにいて、よその子に生まれればよかったと思ったこともべつにない。でも、みんなそんなもんなんじゃないの? インタビューを受けながら、私はそんなふうに思っている。

 祖母はよく、テレビのドキュメンタリーを見ながら「かわいそうに」と呟いている。教育を受ける機会に恵まれなかったため読み書きが不慣れな祖母に、もし本が読めたら、きっとこの『救われてんじゃねえよ』 を読んだ感想も「かわいそう」なのだろうなと想像する。かわいそうと人に思われるように書いてあるというわけではなく、祖母はたぶん、それ以外の言葉を持っていないのだ。彼女の中で「かわいそう」は最大限の励ましと共感を表す言葉として君臨していて、それを人に向けることになんの悪意も憐れみもない。側にいる私はそんなため息のように出る言葉を聞くたび、なぜか大げさに白けてしまう。自分だって多少はかわいそうだなぁ、なんて思っていたくせに、祖母の言葉が聞こえた瞬間「かわいそうじゃねぇよ」と、まるで自分が言われたみたいに悪態をつきたくなってしまう。

「泣いてんじゃねえよ」

 主人公の沙智は家族への想いをほとんど語ろうとはしない。ドラマティックに訴えてくることもないし、私たちの涙を誘うような言葉を溢(こぼ)したりもしない。ここにあるのはただの事実だ。母親が糞尿を垂れ流し、父親が使ってはいけないお金を使い、担任がなにもかも解ったような口をきく。彼女は自分のことを弱者としようとする世界にも、私たち読者の食い物にも決してなろうとはしない。誰にも見つからない社会の片隅で、演出をつけようとする人たちに背を向けながら勝手に傷つき勝手に笑う。物語を欲することは、誰もが持っている人の病だと思う。自分の境遇を無理やり重ねたり、べつに当時は辛くもなんともなかった思い出で自傷しようとする癖は私にも確かにあるのだろう。沙智に起こるさまざまなことの居たたまれなさに、読んでいる途中で何度もふと涙が出そうになる。しかしそのたびに物語の向こうにいる沙智が「泣いてんじゃねえよ」と冷めた目で私を睨んだ。

誰かの悲劇に浸っている暇があるのなら

 私はなぜ祖母が「かわいそう」というのが嫌なのか。私は私の知らないところで、誰かが私にそういうかもしれないと思うと虫唾が走る。そう、私も人に泣かれるのが嫌いだ。憐れまれるのが堪らなく嫌い。誰かの悲劇に浸っている暇があるのなら、自分の人生傷だらけで生きてみろ。私はそう思いながら家族のことや、いろんな人の話を書き続けていた。沙智と目が合うまで、私はそれに気づいていなかったのかもしれない。私たちはかわいそうじゃないし、慰めてほしくもない。誰の口も借りたくない人生が、きっと私たちにはあるのだ。憎いとか愛してるとかそんなもんじゃない。そんな簡単なことじゃない。どんな言葉で表しても損なわれてしまうような、醜くて重たくて温かいなにかが張り付いて離れない。私たちはそれを背負ったまま、できるかぎりのうのうと生きている。

 週にいちど、実家に帰ると祖母は相変わらず頬杖を突きながらあれこれと愚痴をこぼす。私は聞いていないようなふりをしながら、結局すべてを注意深く聞いてしまう。さっきまで恋しくてたまらなかったのに、もう帰りたいと思っている自分が少し可笑しい。とんちんかんな説教にどんどん不機嫌になりながら、私が出て行ってからみるみる痩せていく祖母の手をジッと見つめていた。かわいそうなんて思わない。ただ生きていてほしいだけ。そんな言葉が、今日も喉の奥でいじけたようにうずくまっている。

新潮社
2025年9月26日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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