『百日と無限の夜』
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谷崎由依『百日と無限の夜』を小川公代さんが読む
[レビュアー] 小川公代(上智大学外国語学部英語学科教授)
命を孕む「女」たちの深淵を綴る
定期健診で切迫早産であると告げられた主人公は、順調な妊婦生活から一転して入院生活を余儀なくされる。「危ういところだった。失うかもしれなかった」。切迫早産とは、その状態が継続すると早産に進んでしまう状態をいう。胎児が子宮で十分に育ち切らないまま生まれてくることはその子の命に関わるため、母親は徹底して安静にしていなければならない。作家として忙しい毎日を送っていた彼女にとってそれはとてつもなく長い時間である。本作は、「人間のいのちを、この世にひとつ増やすこと。そんなだいそれたことを、さしたる葛藤もなく」選択できるものかと問う。
なぜこんなことになってしまったのか。つい自分のせいにしてしまう彼女が記憶を辿ると、かつて子宮筋腫があると診断した医師の「結婚したのは、十年前ですか」という心ない一言があった。罪科のあるなしを決めるのが世間であり、その世間が「女ではなく、男の意見で成り立っているものだとしたならば」、「女」はいつの時代も責めを負うのだ。結婚後「あと一冊出せたら子どもを産もうかと」考えていた彼女は、今ようやく命を授かり、そのために四苦八苦している。
「女」たちの命を孕(はら)む経験とは、東西の垣根を越えた「妊娠出産ワンダーランドの地獄」でもあるだろう。主人公の「内側に流れる時間」には、平安時代の踊り狂う「班女(はんじょ)」も、映画『真夜中のゆりかご』で赤ん坊を喪うアナもいる。そして「子どもを持ったけれども生き別れてしまった女。あるいは子どもを持ったことを後悔している女。(中略)子どもを守るために、ほかのすべてを犠牲にしなければならなくなっている女」にも思いを馳せている。この物語は、正気と狂気のはざまを行き来する女性の精神世界を描いた『黄色い壁紙』をも髣髴(ほうふつ)させる。不安の先にある狂気とさえ呼べる暗闇に突き落とされてしまう「女」たちの茫漠たる時間の流れを辿り、その声を豊かに、そして意識の深淵まで潜りこんで語っている。
小川公代
おがわ・きみよ●英文学者、上智大学教授


























