【解説】現実をサバイブしていくためのワクチン――『黒い糸』染井為人【文庫巻末解説:吉田大助】

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黒い糸

『黒い糸』

著者
染井 為人 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041163863
発売日
2025/08/25
価格
990円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

【解説】現実をサバイブしていくためのワクチン――『黒い糸』染井為人【文庫巻末解説:吉田大助】

[レビュアー] カドブン

染井為人『黒い糸』(角川文庫)の刊行を記念して、巻末に収録された「解説」を特別公開!

【解説】現実をサバイブしていくためのワクチン――『黒い糸』染井為人【文庫巻...
【解説】現実をサバイブしていくためのワクチン――『黒い糸』染井為人【文庫巻…

■ 染井為人『黒い糸』文庫巻末解説

解説
吉田 大助(書評家)

 生活保護の不正受給ビジネスに着目した第三七回横溝正史ミステリ大賞優秀賞受賞の『悪い夏』(二〇一七年)、YouTuberによる悪徳請求業者への電凸で幕を開ける『正義の申し子』(二〇一八年)、東日本大震災の復興支援金横領疑惑事件を扱った『海神』(二〇二一年)、トー横キッズの若者たちを利用し搾取する大人たちが成敗される近作『歌舞伎町ララバイ』(二〇二五年)……。染井為人は「いま・ここ」で起きている犯罪を巧みに取り入れたノワール小説の書き手として、確かなキャリアを積んできた。物語構造上の特徴は複数の主人公たちの運命が悪化の一途を辿り、やがて一つに合流して最悪な状況が生み出される、雪だるま式群像劇にある。つまり──ノワール群像劇。死刑制度廃止の最も大きな根拠とされる、冤罪という普遍的題材に取り組んだ代表作『正体』(二〇二〇年)もこの形態だった。
 二〇二三年八月に単行本が刊行され、このたび文庫化された本書『黒い糸』も、ノワール群像劇と呼ぶことができるだろう。ただ、他の作品とは何かが違う。単行本刊行時、著者はインタビューで本作の誕生秘話を明かしている。

〈この物語を書いた最初のきっかけとしては、僕の出身である「横溝正史ミステリ大賞」が「日本ホラー小説大賞」と合併して、「横溝正史ミステリ&ホラー大賞」になったことで、この賞に自分が応募するんだったら何を書くだろう、自分なりに書いてみようかなというのが発端ですね。(中略)僕がお化けとかゾンビを書いても絶対面白くないと思うし(笑)。でもこういう理解不能な人がいちばん怖いかな。やっぱり僕はお化けより人が怖い。〉(「カドブン」掲載)

 著者がこれまでも採用してきたミステリ(ノワール群像劇)の形態はそのままに、ホラーの要素を自覚的に取り入れたのが、本作なのだ。
 物語にまず登場する主人公=視点人物は、結婚相談所のアドバイザーとして働く平山亜紀だ。「マッチングアプリ」のブームを背景に、若者の間で結婚相談所の利用が見直され、結婚相談所の入会者数が倍増していることは現実でもよく知られている。ならばそこでは、トラブルの数も種類も増えている、はず。「いま・ここ」を見つめ続ける、染井為人らしい舞台選びと言える。
 冒頭のシーンが素晴らしい。母親の騙し討ち作戦で亜紀と引き合わされ、怒号をあげる四七歳の息子が、女性のプロフィールが載った分厚いバインダーをしぶしぶめくる。あえて選ぶならこの人かな……と指差したのは、あからさまに高嶺の花だ。「健康体の女性なら、それで十分」と言っていたはずの母は、その女性のプロフィールの一文に難色を示す。すると息子は、「そんな詳しく見てねえもんよ」。ついさっき「よけいなことをすんじゃねえっ」と叫んでいた男の豹変っぷり、母に対する甘えっぷりが、「ねえもんよ」という語尾で見事に表現されている。その人らしさは細部に宿る、と実感させるオープニングだ。
 亜紀が千葉県・松戸の会社に戻ると、悲劇が待ち構えていた。三九歳と自分と同い年である顧客の江頭藤子が、お見合い相手から交際を断られたことが解せない、許せないと言い、乗り込んできたのだ。モンスタークレーマーと化した彼女につい放ってしまった一言が、「結局、あなたがそんなだから、いくつになっても結婚できないのよ」。「覚えていろ」の捨て台詞を放ち、江頭藤子は帰っていったが──。亜紀が小学六年生の一人息子・小太郎と暮らす家で、会社で、不穏な出来事が連鎖し始める。
 染井流ノワール群像劇の特色は、運命が下降線の一途を辿る主人公に対して、少なからず自業自得の面もあると読者に感じさせる点にある。自業自得のスパイスがかかっているからこそ、彼や彼女を今の状況から救い出してあげて欲しいと思いながらも、こうなるのはしょうがないよねとも思うのだ。しかし、さすがにこれはもう自業自得とは呼べない……という災害級の事態が勃発したところで、亜紀に救いの手が差し伸べられて、ホッとする。この書き手は、読者の心情を見抜いている。
 一方で、もうひとりの主人公=視点人物となる小学校教諭の長谷川祐介は、究極の巻き込まれ体質だ。亜紀の息子・小太郎の担任である祐介はもともと四年生のクラスを受け持っていたが、三学期の始まりというタイミングで急遽、六年二組の担任に抜擢された。前任者の飯田美樹が休職してしまったからだ。その理由は、前年の一二月四日、当該クラスに在籍していた小堺櫻子が帰宅途中に行方不明となり、責任を問われる事態になったからだった。児童の保護者はモンスターペアレンツとなって、祐介のもとへと足繁く通う。シビアでシリアスな祐介のパートに〝抜け感〟をもたらしているのが、自身の離婚を機に、三八歳独身の弟の家に上がり込んできた兄・風介の存在だ。大学院の研究員で、専門分野である遺伝について長広舌を振るう兄は弟にとって「うるさいよ!」と叫びたくなる存在だが、兄の前では遠慮や気遣いなど一切無縁でいられる、微笑ましい関係なのだ。
 物語は亜紀と祐介、ふたりの視点をスイッチしながら進んでいく。担任と児童の保護者という関係上、ふたりは早い段階で顔を合わせることとなるが、ふたりの運命が真に交錯するのは最終盤だ。その時、何が起こるのか。序盤から最終盤まで積み上げられてきた幾つもの「予感」がそこに至り、最悪のかたちで実現するとだけ記しておきたい。
 ここでもう一度、最初の問いに戻りたい。本作は、他の作品とは何かが違う。それはホラーという要素の導入であると考えたのだが、恐怖や不安という感情であれば、染井は作中で常に取り入れてきたものだ。ならば本作独自の、他にはないホラーの要素とは何か。
 ことわざをひとつ紹介したい。「盗人にも三分の理」。罪を犯してしまう人、やってはいけないことをやってしまう人にも、そうせざるを得ない理由があるという意味だ。三分は三〇%の意味であるから、心情的にもう少し割合を下げて、一分。つまり──一分の理。全く共感しないけれども、時と場合によって人間は、そんなふうに心を動かしてしまうことがあるのかもしれない。染井流ノワール群像劇は、加害者がそう行動せざるを得なかったこと、あるいは被害者が悲劇に飲み込まれざるを得なかった「一分の理」を、さまざまな登場人物のさまざまなシチュエーションを通して描き出してきた。ミステリ評論家の千街晶之が、著者の第三作『震える天秤』(二〇一九年)の文庫版の巻末解説で指摘した点を思い起こしてみてもいい。

〈また著者の小説では、どうしようもない悪党が登場することはあっても、彼らが絶対悪として描かれるとは限らないし、善人の中に潜む悪が描かれる場合もある〉。

 悪党の中の善、善人の中の悪の部分を、「一分の理」と言い換えることは、さほど無理筋ではないだろう。作品を通して「一分の理」の想像力に触れ、現実でそれを他者に/自己に向けることには、人生において少なくない意義が宿るだろう。
 では、本作はどうか。一連の事件の真犯人には「一分の理」すらもない。これこそが、本作における最大のホラー要素なのではないか。そして、このような人間は、現実において確率的に存在する。そうした想像力を手に入れておくことも、他の作品とはまた違う種類の、現実をサバイブしていくためのワクチンとなるように思うのだ。

KADOKAWA カドブン
2025年08月27日 公開 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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