『痛いところから見えるもの』
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切実さとユーモア、深い思索 私的な「痛み」を共有する営み
[レビュアー] 稲泉連(ノンフィクションライター)
冒頭に詩人・寺山修司のこんな言葉が掲げられている。
〈「苦痛」こそはまさに、絶対〉
『絶望名人カフカの人生論』の編訳などで知られる著者は、二十歳のときに難病の潰瘍性大腸炎を患い、13年間に及ぶ闘病生活を送った。本書はその経験から始まった様々な「痛み」を手掛かりに、人間をめぐる命題について考えた刺激的な一冊だ。
〈痛みは、人と人を切り離すが、その一方で、人と人をつなぐ力も強い〉と著者は書く。
痛みはどこまでも個人的で、「私」の痛みを他者は感じられない。だが、だからこそ「痛い人」と「痛くない人」の間に橋を架ける試みは、人間理解の本質を浮かび上がらせるのではないか――。
著者が道標とするのが「文学」である。個人的な体験を掘り下げて普遍を描く一つの営みが文学であるとすれば、言語化が困難な「痛み」について語る際にこそ、その力を借りたい。そうしてカフカやニーチェ、村上春樹など、古今東西の文学や哲学の言葉を縦横に引き、一歩ずつ深められる思索に底流する文学への信頼が、強い印象を残した。
「痛み」は私的なものであるが故に、人間が本質的に孤独であることを突き付ける。しかし、一方で人には自分の経験を通して、他者を思いやる力もある。
著者は他者を理解することの困難さを繰り返し直視しつつ、一方で人と人が理解し合う瞬間の喜びや、そこから紡がれる関係の可能性を探った。
経験しなければ分からないものを、どうにかして共有しようとする営みとしての「文学」と「痛み」。その両者に響き合うものを見つめることによって、人間存在の根っこに迫ろうとする試み――。自身と分かちがたい「痛み」を客観視し、身体性を通り抜けた切実さとユーモア、深い思索が三位一体となった筆致に圧倒された。


























