『汚名』
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幕末に天然痘と闘い続けた医師・伊藤玄朴の生涯
[レビュアー] 縄田一男(文芸評論家)
命に貴賤はない――医に取り憑かれた男は、まさにすべてを医療に捧げた。
和田はつ子の『汚名』は、幕末にあって、天然痘と闘い続け、江戸で初めての公儀公認の種痘所を設立し、一人でも多くの子供たちの命を救いたいという大望をもった伊東玄朴の過酷な生涯を描く。
玄朴は、肥前国は仁比山不動院の被官執行家の生まれ。百姓同然の出自ながら、漢方医になるべく勉学に励み開業。さらに蘭方をも身につけようと、長崎にて、通詞猪俣伝次右衛門から阿蘭陀語を学び、シーボルトに師事した。将来の岳父になる伝次右衛門の思いにより、シーボルトに同道して江戸へ上る。ここで人生が大きく変わることになる。
シーボルト事件に巻き込まれ、幸いお咎めなしとなるも、義兄源三郎は捕らえられ獄中で自害する。これにより、伝次右衛門の娘・照と祝言を挙げてからも、姑ミツは玄朴を逆恨みするようになる。
その様な中、江戸で開業すると、そこには疫病が蔓延し、全身に痘瘡の瘡蓋が散り、目鼻立ちがわからないほど顔が水疱で被われた物乞の子の姿があった。この地獄絵を目にするやひたすら治療に没頭する玄朴。
「わたしはただ生涯をかけて、病に苦しむ人を助ける医者になりたいのです」――この医者の魂を持つ玄朴は、医は仁術というは元より、それを施すのにもお金がかかることから、質素倹約に励み、吝嗇と蔑まれながらも多大な犠牲を払い、すべての人に種痘を、という大願成就を果たす。
膨大な資料を読み解き、その史実から、その行動から、その意味するところを炙り出し、登場人物たちの人となりを形作る作者の手腕は見事なものだ。序章・第四章・終章に入る妻の手記は、読者に別の目を持たせる構造となり、玄朴の真の姿を読み解く手立てを与える手法には恐れ入る。国難、災害、疫病と、まさに令和の今と重なる。


























