『どくとるマンボウ航海記』
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これは海だ/海というものだ
[レビュアー] 梯久美子(ノンフィクション作家)
名著には、印象的な一節がある。
そんな一節をテーマにあわせて書評家が紹介する『週刊新潮』の名物連載、「読書会の付箋(ふせん)」。
今回のテーマは「航海」です。選ばれた名著は…?
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1970年代に中学生だった私の世代は、遠藤周作なら狐狸庵先生、北杜夫ならどくとるマンボウのシリーズから読み始めるのが定番だった。前者は荒唐無稽なホラ話、後者は自嘲的ユーモアによって、エッセイを読む楽しさを教えてくれた。
遠藤の『沈黙』や北の『夜と霧の隅で』を読んで、その暗さに茫然とするのは数年後のことである。
『どくとるマンボウ航海記』は、マンボウシリーズの最初の本。大学の医局員だった北杜夫が水産庁の漁業調査船の船医となって世界の海を5か月間廻り、シンガポール、エジプト、ポルトガル、ドイツ、オランダ、フランスといった国に上陸した記録である。
出港後間もなく、海の景色に感動した北は詩を作る。
〈これは海だ/海というものだ/ああ その水は/塩分に満ちている〉
このナンセンスさは、真面目に語ることに照れ、教養をひけらかすことを恥じる北の韜晦で、このあとに〈さすがに私はこの出来栄えには感服しなかったので〉として、日本ではあまり知られていないブレーズ・サンドラルスの〈悽愴なまでに美しい〉詩が紹介される。
間違えて10倍量の下剤を飲んだり、ポン引きに遭遇したり、耳栓をしてオペラを鑑賞したりと、失敗談や滑稽な話が次々と語られるが、その博覧強記ぶりからは知識に対する愛が、自然描写からは著者の本質的な叙情性が伝わる。大人の再読に耐える、多面的で盛り沢山な航海記である。


























