【解説】この作品はそのままに、風野真知雄という作家の心を写しているように思えた――『恋の川、春の町 江戸戯作者事情』風野真知雄【文庫巻末解説:永井紗耶子】

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恋の川、春の町 江戸戯作者事情

『恋の川、春の町 江戸戯作者事情』

著者
風野 真知雄 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041153727
発売日
2024/10/25
価格
858円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

【解説】この作品はそのままに、風野真知雄という作家の心を写しているように思えた――『恋の川、春の町 江戸戯作者事情』風野真知雄【文庫巻末解説:永井紗耶子】

[レビュアー] 永井紗耶子(作家)

風野真知雄『恋の川、春の町 江戸戯作者事情』(角川文庫)の巻末に収録された「解説」を特別公開!

【解説】この作品はそのままに、風野真知雄という作家の心を写しているように思...
【解説】この作品はそのままに、風野真知雄という作家の心を写しているように思…

■ 風野真知雄『恋の川、春の町 江戸戯作者事情』文庫巻末解説

解説
永井紗耶子

 恋川春町は、なんとまあ、愛される男なんだろう。
 虚しさもある終劇の後、本を閉じてしばらくしてから頭に浮かんだのは、春町が夢とも現ともなく見ていた女たちの姿。軽口を叩きながらも、春町を案じ、「あの人は」と語り合う。それぞれにそれぞれのかかわり方の中で見えてきた春町のことを、「菩薩のように」とはいかないけれど、それなりに愛してきたことが伝わってくる。
 やっぱり風野真知雄さんの描く男は、粋なんだよねえ……と、したり顔で呟く。
 以前、私が担当編集者と江戸時代について話をしていた時のこと。どんな作品が好きなのか、と問われて、
「風野真知雄さんの書く人物は、男も女も好きなんですよね」
 と、答えた。
 それが何故なのかが、この作品を読んでいて改めて分かった気がする。
 私は江戸時代の作品を書く機会を頂くことが多い。しかし、元々、江戸時代が好きだったわけではない。昔ながらの時代小説の中には、「かっこいい武士」がよく出てくる。忠義のために刀を振るい、なよやかな女性から、「貴方のためなら死んでもいい」とやたらとモテる。読みながら、「なんでこの人をいいと思ったのか分からない」と、はてな、と思って本を閉じたことが何度かあった。
 最初に風野作品に会ったのは、「妻は、くノ一」である。「くノ一もの」というと、ちょっと色っぽい話なのかな……と、思いつつ、書店員さんの熱い応援ポップに惹かれて手に取った。
 そして、ページを開いて読み始めて驚いた。
 なんだろう、これ。ついつい引き込まれて読んでしまう。
 数行読んで、先が気になった。何せ、文章のリズムがいい。さらりとしつつ、先へ先へと送られる。後々、風野さんが「ジャズが好き」というエピソードを読んだ時に、勝手に「だからか」と思ったことがある。スイングするように進んでいってしまうのだ。
 やがて、くノ一、織江の凜々しさと、夫、彦馬の個性とにすっかり魅了された。従来の「悲しくてセクシーなくノ一」と「腕自慢の頼りになる武士」ではない。それぞれの人となりに来し方があり、実がある。上っ面のかっこよさよりも芯があるのだ。
 これまで私が、はてな、と思った「時代小説」と何が違うんだろう……と、考えた。そして、気付いた。
「武士が、武士であることにちょっとだけ、斜に構えているからかもしれない」
 江戸時代、身分制度の厳しい中、武士はその頂点に立っていた。武士であるということ、男であるということ、それこそが特権である。しかしそれは、自らの手で獲得してきたものではなく、生まれ落ちた家、性別だけで得られたものだ。それを研鑽して初めて「武士」としての生き様になる。彦馬は、「俺は武士だ」と偉ぶらないのが粋なのだ。
 そして、『恋の川、春の町 江戸戯作者事情』の主人公である恋川春町、本名、倉橋寿平も、「俺は武士だ」と偉ぶらない。武士でありながらもお上の政に対して「いかがなものか」という疑問を持ち、小石川春日町にちなんで「恋川春町」と名乗る「黄表紙」の生みの親となるのだ。
 江戸時代も百年以上が過ぎ、戦乱は遠く、天下泰平の世である。老中田沼意次が権勢を誇っていた時代のこと。武士は刀を差しているが、それを抜いて戦うことなど稀。主な役目は、主に仕え、実務を担う、いわば役人である。その退屈に耐えかねて、多くの武士が、戯作や狂歌、絵画を嗜んでいた。それは文化において豊かな時代であっただろう。
 しかし、田沼の次に老中の座に就いた松平定信によって、その豊かさは変わり始める。「寛政の改革」を手掛けた定信は、それまでの田沼時代を全否定することから始めた。朱子学の教えに従った国造りに舵を切るのだ。
 定信が力を入れた一つが、倹約令。定信は物価高騰の原因が奢侈にあると考えていた。そこで大名旗本に倹約を命じ、贅沢品を禁じる町触れも出した。贅沢品とは、高価な菓子や着物、髪飾り、蒔絵の雛道具……町人たちの華やかな暮らしを彩ってきたものが「贅沢」として禁じられたのだ。
 そしてもう一つが文武奨励。作中でもしばしば取り上げられていたが、学問と武芸を奨励するという動きである。町中には突如として道場が出来たり、学問所が出来たりと、お上の顔色を窺う動きが出ると共に、武士たちも慌てて文武に励んでいく。
 その様を見た戯作者たちは、付け焼き刃で文武に励む武士たちを嘲笑い、作品を書き始めた。恋川春町の『鸚鵡返文武二道』は、正に文武奨励を嘲笑う作品である。時代は醍醐天皇の御代。天皇が質素な衣服を着て、文武を奨励するという筋書きは、まさに定信が出した倹約令と文武奨励を表しており、登場人物たちは、菅秀才など、古い時代の人物にしているが、松平定信らをモデルとしているのは読めば分かる。
 華やかな時代を謳歌していた武士も町人も、突如として降ってきた倹約や文武奨励といった方針転換に戸惑ったことだろう。窮屈さを感じた人たちにとって、彼らの書いた黄表紙は、正に溜飲を下げる作品であったに違いない。
「そうだそうだ、笑ってやろう」
 戯作によって笑われるお上の姿に、すっきりした人々は、武士も町人も、黄表紙に大いに沸いた。次から次へと刷られて売られていく。
 やがてその存在は、定信も十分に知るところとなり、役人たちは定信の顔色を窺いながら動き始める。そして、書き手たちはじわりじわりとお上の圧を感じ始めていく。
 今作のラストは、寛政元年の七月である。
 その翌年、寛政二年五月の町触れには、こう書かれている。
「近年、子供持遊ひ草紙絵本等、古代之事によそへ、不束成儀作出候類相見候、以来無用に可致候」
 つまり、子供のための草紙や絵本などに、昔のことのようなふりで不謹慎なことが書いてあるものがあるが、今後は無用、というのである。お上がこんな町触れを出したとあれば、これまで笑いながら手にしていた黄表紙が、途端に「禁書」になってしまう。そして、恋川春町らの黄表紙は絶版となっていく。
 更に翌年の寛政三年には、黄表紙の版元であった蔦屋重三郎は過料として身上半減……つまりは全財産の半分を持っていかれ、人気作家であった山東京伝は手鎖の刑に処せられることとなる。
「言論の自由」などというものは、概念すらない時代。
 お上がここまで本気で処罰に乗り出せば、書き手たちは縮み上がるしかなかったのは想像に難くない。
 今作では、その言論統制のはじまりが描かれている。じわじわと掛かる圧力を感じた戯作者たちは、一人、また一人と、出版から手を引いていく。恋川春町は、去っていく同胞を口惜しく見て、「それでも引かない」と思い定めつつも、権力の持つ怖さも知っている。
 物語のはじめのうちは、どこか瀟洒な春町が、恋に恋をし、ふらりふらりと女性たちを訪ねているように見える。しかしその渡り歩いている道中で、重低音のように、定信の影が立ち現れ、じわじわと春町の心に圧し掛かってくる。
 だが、定信と共に、江戸の著作に関わる者たちにとって、冒しがたい名がある。それが「馬場文耕」である。

 馬場文耕は、このときから三十年ほど前に、お上を批判する異説を記し、言い触らした罪で獄門に処された講釈師である。
 だが、馬場文耕を軽蔑する戯作者はいないはずである。お上の圧力にまるで屈しなかった。その反骨の姿勢は驚嘆するほどである。

 春町の中に宿る馬場文耕への密かな憧れが、作中のそこかしこに窺い知れる。だからこそ、早々に筆を折った朋誠堂喜三二や大田南畝のことを苦々しく思っているのだろう。
 しかし遂に、恋川春町に松平定信からの呼び出しの声がかかる。春町はこの呼び出しに参じることに躊躇する。

 ──権力はなんと重いのか。
 と春町は思った。誰もそれとは戦えないのか。
 いや、違う。戯作者は戦える。言葉という武器を駆使して、あの手この手でからかい、嘲笑い、あいつらの下種な心根や、頭の悪さ、おのれを守ろうとするいじましさ、そういった諸々を、あぶり出すことができるのだ。

 自問自答の末に、戯作者としての気概を見せる春町。しかし同時に、定信に対する怯えも沸々と沸き起こり、「斬られるかもしれない」という妄想に取り憑かれていく。
 読み進めていくうちに、春町の視界がぐにゃりと歪むような感覚がある。それは春町が心を病み始めているからなのだろう。それまでの粋で瀟洒な春町が、「武士」としての己と、「戯作者」としての己との間で葛藤していく。
 そして、春町は「戯作者として死のう」と決めるのだ。
 実際の恋川春町の最期については、史実の上では分かっていないとされる。病死であったと記されるが、自害であったとする説もある。
 最期、夢とも現ともしれない春町は言う。

 還ったらなにをしよう。もちろんまた書いてやる。やっぱり戯作から離れられない。

 この作品はそのままに、風野真知雄という作家の心を写しているように思えた。ファンの一人として、その言葉が嬉しい。

KADOKAWA カドブン
2025年10月11日 公開 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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