『90歳、男のひとり暮らし』
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阿刀田高×黒井千次・対談「90代の歩き方」
[文] 新潮社

黒井千次さんと阿刀田高さん
洋服の着脱に手間取り、浴槽から出るのにひと苦労……。
まさに“90代あるある”を実感する作家、黒井千次(93)さんと阿刀田高(90)さん。
高校の先輩後輩として出会って70年以上、文学の世界を共に歩んできた二人が、老いの戸惑いや記憶の変化、伴侶との別れなど、この世代ならではの体験について語り合った。
今回の対談は、阿刀田さんの著書『90歳、男のひとり暮らし』(新潮社)の刊行を記念して行われたもの。独居の日々を軽やかでユーモラスに綴った同書の世界は、黒井さんとの語らいの中にも息づいている。
体の衰えや記憶の揺らぎを感じながらも、日常の小さな発見や思索の喜びを大切にする二人の姿から、歳を重ねることの苦労と、そこに潜むささやかな面白さの両方が伝わってくる。
そんなお二人は今、どんなふうに90代を歩んでいるのか?
阿刀田高×黒井千次・対談「90代の歩き方」

阿刀田高さん(90)
阿刀田 この対談を読んでくださる方に最初に申し上げますと、黒井さんは私にとって、単なる文学の世界での先輩というだけではないんですよ。私が都立西高等学校の一年生だった時、三年生にいらした本当の先輩なんです。しかも、私のいとこが黒井さんと同学年で大変親しくしていた。
黒井 そうそう、彼から「今度入った阿刀田っていうのは俺のいとこだ」と聞いた、それがもう七十年以上前のことになるんだなあ。
阿刀田 もう一つ、黒井さんの奥様である千鶴さんと私が同級生だったというご縁もあります。ちょうど私たちの学年から本格的な男女共学になって、女子が一気に百人も入った。男ばかりの上級生たちは色めきたって、一年生の授業が終わるのを教室の外で今か今かと待っていたりして(笑)。
黒井 一学年四百人の中に女子が百人も入れば、そりゃ、いろいろ忙しいですよ(笑)。
阿刀田 女生徒の方も同級生の我々には目もくれず、上級生に夢中で、黒井さんは憧れの的でしたね。今でも同窓会で女性たちから「長部さん(黒井さんのご本名)はどうなさってる?」と訊かれます。覚えていらっしゃいますか、私たちが入学してほどなく、共同募金を集めるために街頭に立つかどうか議論する集会があったことを。
黒井 ああ、ありましたね。
阿刀田 私などは募金は良いことだからやればいいと単純に思っていた。ところが、この募金は政府の社会福祉の財源になる。つまり政府の手先になるのと同じだという意見が出て大論争になった。議長の黒井さんがなんとか収拾しようとするところへ、千鶴さんが「議長!」と鋭く手を挙げ、「中途半端に場をまとめるのはいけないと思います」と堂々意見した。
黒井 そんなことがあったかな。
阿刀田 はっきり覚えています。黒井さんは壇上から降りて「議事が混乱しているんだから、これ以上長引かせないように」と笑顔を交えて千鶴さんをなだめ、それを見た上級生たちは、やんやの大騒ぎ。すごい学校に来ちゃったなと圧倒されたものです。あの頃から、どうもお二人は怪しかった。
黒井 まあ、その少し前から関わりはあったんですが(笑)。
阿刀田 今日はそんな時代から敬愛する先輩に、私の本のことでおいでいただいて恐縮です。
黒井 本当に面白く拝読しました。年寄りが先達の書き残したものに学んだり、年を経て変化する世界観を書いた本はこれまでもあったけれど、この本は、あっちへはみ出し、こっちへはみ出ししながら、日々の思案を緩やかに綴って型にはまらない。しかも、あとがきの後に、共に歩んできた協力者たる奥さんを亡くし、本当のひとり暮らしになったという文章が置かれて終わる。この構成も非常に珍しいですね。
阿刀田 本の作業が始まった時点では家内は介護施設で存命でしたし、私もひとり暮らしとは言いながら、別の場所にいる家内を意識して書いていたんです。ところが家内が亡くなり、そのことを書くかどうか、正直迷いました。でも、まぎれもなく私の身の上に起きたことですし、九十歳にはこうした別れもありうる。それで最後に少し文章を加えることにしたんです。
黒井 奥さんは長く患っていらしたのですか。
阿刀田 レビー小体型認知症にパーキンソン病を併発していました。2021年の正月に、旅先でヒステリーともいえない異様な興奮状態になり、以来、突如、手が付けられない状態になることを繰り返しまして。二年ほどは私が家で見ていましたが、ある時介護方面の識者に相談したら「この家は危機的状況です。半年後にはあなた自身が駄目になりますよ」。確かに限界は近づいていました。そこで騙すようにして家内を近所の施設に入れたんです。
黒井 それは致し方ないことですね。
阿刀田 施設からは「奥さんにかつて別の居場所があったことを思い出させないように」と、三カ月間、面会を禁じられました。その間に家内はそこが自分の居場所だと呑み込んで、のちには穏やかに「ここは割といいところね」なんて言ってましたね。私と会うのを何より楽しみにしていましたから、絶対に家内より先に死ぬわけにはいかない。そう気を張って暮らしておりました。今は肩の荷がおりて、いつ死んでもいい心持ちでおります。



























