戦時下のアジア、江戸時代の蝦夷、現代のネット社会……多様な舞台のエンタメ小説9冊を、末國善己が紹介

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  • 南洋標本館
  • 花咲く街の少女たち
  • つないだ手
  • 翠雨の人
  • 英雄の輪 -HERO’S ISLAND Another Story-

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ニューエンタメ書評

[レビュアー] 末國善己(文芸評論家)

今年は戦後80年の節目の年。日本の歴史を問い直す作品を中心に、読書の秋にぴったりな、至極の9作を文芸評論家の末國善己がお届けします。

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 今年は戦後80年、昭和100年の節目。最初に、これを意識したと思える作品を紹介したい。

 葉山博子『南洋標本館』(早川書房)は、漢人の陳永豊と日本人の生田琴司──台湾で生まれ育った二人を軸に戦前から戦後までの歴史をたどっている。漢人富豪の養子になった陳は、日本語が日本人と変わらないほど堪能だが、漢人ゆえに差別され通える学校も制限されていた。一方、総督府の役人で内地で高等教育を受けるべきだと考える父親とは裏腹に、琴司は台湾を愛し日本本土への憧憬は薄かった。対照的な環境で育った陳と琴司だが、植物を通して親しくなり植物学者を目指す。著者は建前では同じ皇民ながら、日本人と植民地出身者の間にある差別構造、それが生み出す双方の心情の齟齬を丹念に掘り起こしていく。二人は理学部系の植物学者になるので、戦時に重要な食料増産などには役立たないが、南方での探検、植物採集なども国策にからめとられてしまう。共通の理想を持っていた陳と琴司が、時代の激流に押し流される展開は、強大な権力が個人を圧殺する非常時の現実を見せつけているが、それでも理想を守ろうとした二人の姿には救いがある。

 近代女性史の研究者でもある青波杏の『花咲く街の少女たち』(講談社)は、日本統治下の京城(現在のソウル)を舞台にしたガール・ミーツ・ガールの物語だ。東京の私娼窟で育った翠は、ダンスホールで働く年季明けの娼妓の世話係として神戸へ行き、そこで歌手として注目を集め市会議員の養女になり、女学校へ通うため京城へ渡った。日本人夫婦が暮らす下宿には朝鮮人の少女ハナが子守として働いていた。お嬢さまとして女学校へ通う翠が教育を受けていない娼婦の娘である事実を隠す展開や、姿を消したハナの弟の居場所を推理したり、翠が京城に渡った秘めた目的やハナが抱える秘密が徐々に明らかになったりするミステリの要素もあり、物語はスリリングに進む。最初から友好的な翠と、距離の取り方を測りかねているハナは、次第に互いへの理解を深めるが、それが逆説的に支配者と被支配者の溝や、日朝間にある歴史の闇を浮き彫りにしていく。この断絶をどう乗り越えるのかを問う視点は、現代社会とも無縁ではない。

 植松三十里『つないだ手 沢田美喜物語』(PHP研究所)は、三菱財閥を築いた岩崎弥太郎の孫で、先の大戦後、日本人の母親と占領軍兵士の父親との間に生まれた子供たちのために児童養護施設エリザベス・サンダース・ホームを造った沢田美喜の後半生を追っている。

 夫の沢田廉三が外交官で欧米での生活を経験した美喜は、イギリスの例を参考に、日本で差別される危険がある外国人の容貌を持つ子供たちを養育する施設を造る。だが岩崎家は財閥解体で、廉三は公職追放で寄付は難しく、美喜は当初から資金集めに奔走する。美喜の活動をサタデー・イブニング・ポストが報じるが、それにより美喜が支援物資を横流ししているとの噂が広まり、寄付が集まらなくなる。このエピソードは、慈善活動がネットで売名、偽善などと批判される状況に似ており、日本人のメンタリティが変わっていないことに驚かされる。美喜は占領軍兵士の父親を持つ子供が差別されるのは、敗戦による貧困が原因で子供を産んだだけなのに、日本人からは敵に体を売ったと非難され、戦勝国からは自国の恥を隠蔽したい力が働いた結果ではないかと考える。美喜の長い活動は、戦時性暴力と女性差別にも切り込み、これをどのように解決するかも問い掛けていた。

 科学を題材にした小説を発表してきた伊与原新の初の歴史小説『翠雨の人』(新潮社)は、地球科学者で日本の女性理系研究者の草分け的な存在の猿橋勝子を主人公にしている。子供の頃から理数系が得意だった勝子は、高等女学校を卒業した後の進路に悩んでいた。一度は会社勤めをした勝子だが、憧れの吉岡彌生が創設した東京女子医学専門学校(現在の東京女子医科大学)を受験する。だが面接での対応に怒り、開校予定の帝国女子理学専門学校(現在の東邦大学)の一期生として物理学を学ぶ。日米開戦の翌年、中央気象台の三宅泰雄のもとで実習をすることになった勝子は、学生に対しても一人前の研究者として課題を出す三宅の期待に応えようと研究に励む。天気予報は軍事機密で、気象関係の研究も軍事転用が求められる戦時中も、勝子はいい研究は社会に役立つと信じて研究を続ける。勝子の転機になるのが、女子理学専門学校時代の友人が広島で被爆したことと、第五福竜丸が死の灰を浴びたアメリカの水爆実験である。雨や海水に含まれる放射性物質を研究していた勝子は、高い数値を検出。だがアメリカの研究所が出した数値は、勝子のものより低かった。どちらが正しいのかを確かめるためアメリカへ行った勝子が、アメリカの研究者と勝負するのが本書のクライマックスになる。だが著者は、この勝負を劇的に盛り上げる演出をしておらず、勝子も勝敗より科学的な正確さを重視しようとする。著者の冷静なストーリーテリングが、勝子の科学者としての真摯さと良心を見事に表現することに成功していた。

 真藤順丈『英雄の輪』(講談社)は、第160回直木賞など文学賞三冠に輝いた『宝島』に続く物語で、全6作の短編集である。地謡の息子オロクが、戦後も潜伏を続ける琉舞の家元を降伏させる命令を受ける「ブーテン」は、オロクが得意だった三線が弾けなくなった理由がせつない。現金輸送車を襲った四人が捕まるも出所後に5人目を名乗る手紙が届く「五つ目の石」と、ロック歌手を目指す少女が、ギターを教えてくれたアメリカ人が25セントをくれた理由を知る「25セント」はクオリティが高いミステリである。沖縄復帰から6年後、道路が本土と同じ車が左、人が右になる7月30日が近付くなか、国会で沖縄復帰反対の騒動を起こした男が沖縄に現れる「ナナサンマル」は、アメリカに故郷を蹂躙され、日本から負担を押し付けられた沖縄の現状が、今も改善されない現状を端的に伝えていた。いずれも暗いだけの物語ではなく、未来への希望がうかがえるのが嬉しい。

 芦辺拓『蝦夷大王の秘宝 お江戸三爺からくり帖』(ハルキ文庫)は、著者初の文庫書き下ろし時代小説である。蝦夷地を治める松前藩十三代藩主の松前道広は、幕府から永蟄居の処分を受け、新藩主の章広は梁川藩へ移封された。『南総里見八犬伝』が人気の曲亭馬琴は、愛読者の道広が息子を松前藩の藩医に推挙してくれたと知る。その道広から提供された資料に挟まっていた謎めいた漢文を暗号と見抜いた馬琴は、解読を進める。アイヌ民族から献上された秘宝を使って蟄居から解放されたい道広だが、秘宝は行方不明だった。馬琴が手にした暗号が秘宝の隠し場所を示していると分かり、その捜索には葛飾北斎、鶴屋南北もからんでいく。松前藩の蝦夷地復帰という史実を背景にした本書は、馬琴、北斎、南北の創作の裏側に迫る時代小説としても、何気ない描写が伏線となり意外な真相を浮かび上がらせる本格ミステリとしても秀逸で、どちらが好きでも満足できる。

 伝奇小説、乱世を舞台にした歴史小説で注目を集める武内涼の新作『ふたりの歌川──広重と国芳、そしてお栄』(朝日新聞出版)は、3人の絵師を軸にした芸術家小説である。父親が定火消同心ながら貧しく内職で扇絵を描いている徳太郎(後の広重)と、染物屋の家に生まれた孫三郎(後の国芳)は、葛飾北斎の絵に魅了された縁で北斎の娘お栄(後の応為)と出会う。3人が集まり切磋琢磨しながら絵を学んでいく前半は、青春小説として楽しめる。だが幸福な少年時代は、突然終わる。人気絵師・豊国門下になった孫三郎だが、絵師は売れる絵を描く職人と考え、絵が北斎風な孫三郎に批判的な師匠とは相いれない。父親の急死で家督を継いだ徳太郎は、定火消同心として認められようと火事に挑む(火消し場面のスペクタクルは、合戦ものが多い著者の面目躍如だ)一方、絵師になる気持ちは捨てられない。お栄は、自分の絵よりも北斎の手伝いを優先していた。3人が抱える上司との対立、転職か否か、家か仕事かの苦悩は、働いていれば経験する普遍的なもので、仕事を持つ読者は共感も大きいはずだ。3人が身近な存在だけに、才能を開花させていくプロセスは感動も深い。

 知念実希人『スワイプ厳禁 変死した大学生のスマホ』(双葉社)は、モキュメンタリー・ホラーである。

 大学生の「オレ」は、所属しているオカルト研OBの八重樫から、ゴーストタウンに侵入すると呪い殺される「ドウメキの街」なる都市伝説の調査を頼まれる。縦長の特殊な判型をスマホに見立て、左頁で「オレ」の調査を描き、右頁には「オレ」のスマホ画面を再現。メッセージアプリのトーク、SNSのタイムライン、写真などを載せ、相乗効果で恐怖を高めている。

 人を監視し続けて死に追い込むドウメキは、他人の言動を簡単にトレースできるようになったネット社会の暗喩に思えた。それだけにドウメキに追われる主人公の恐怖は生々しく、衝撃のラストまで目が離せないだろう。

 彩藤アザミ『読むと死ぬ本』(講談社)もモキュメンタリー・ホラーだが、アナログな本を扱っている。編集者の氷上にロシアの作家ダビニフスが書いた『読むと死ぬ本』の評論を依頼された売れないホラー作家の私は、完成原稿を渡した。その席で、作家志望で氷上が担当している女子大生が、最古の日本語訳より2年早く翻訳された『読むと死ぬ本』を古書店で見つけたと聞いた私は、改めて同書を調べ始める。私の生活/創作と、幻想/妄想の境界が曖昧になる中盤以降の迫力と、二転三転する終盤には圧倒された。収入が不安定で母親の介護も抱える私の境遇は、50代以上の読者にはリアリティがあり、生と死の意味を問う展開も考えさせられるのではないか。

角川春樹事務所 ランティエ
2025年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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